ブラームスの「花嫁の歌」―『アルト・ラプソディ』作品53
ある日、クララ・シューマン家を訪れたブラームスは新作を披露した。「数日前、ヨハネス(ブラームス)はコントラルトと男声合唱とオーケストラのための、素晴らしい作品を見せてくれた。彼はそれを『自分の』花嫁の歌と呼んだ。わたしは久しぶりに深い感動を受けた。歌詞と音楽の深い悲しみゆえに、衝撃を受けたのだ」。『アルト・ラプソディ』に触れたクララの日記である。
ブラームスはシューマン家の三女ユーリエ(下 肖像画 Julie Scumann 1845-72)が結婚することを知って、驚き、嘆き、この曲を書いたといわれる。「怒りをもって」作曲したとも友人に明かしたという。というのも、当時、ブラームスはユーリエに秘めた愛情を抱いていたようだ。クララはそのことに気づかずに、とある伯爵へユーリエを嫁がせることにしたのだ、と伝記作者のガイリンガーはいう。いや、わたしは怪しいと思ってる。クララは敏感にブラームスの心の動きを感じとった。だからこそ彼女はユーリエを結婚させたのではなかったか。深読みすぎるか?
しかし『アルト・ラプソディ』をクララに見せたブラームスの真意はどこにあったのか。
そもそもブラームスは、ユーリエに惹かれていていたとしても、結婚を現実的に考えていたのか。12歳年下になるから不可能ではないが、永遠の思慕の対象であるクララの娘と結婚するなど可能だろうか。思うに、ブラームスはユーリエにクララの影を見ていたのではないか。つまりユーリエへの想いはクララへの愛の「変奏」だったのであり、「主題」はあくまでもクララだったかもしれない。
『アルト・ラプソディ』はそんな複雑で、面倒くさい男心をクララに伝える音楽だったかもしれない。多分、メロドラマ的?解釈なのだろう。でもブラームスはそこにあるメッセージを込めた気がする。ゲーテの詩「冬のハルツの旅」は、現世とみずからを厭う世捨て人の歌だが、3つ目のスタンザにこうある。
父なる愛の神よ あなたの竪琴の響きが
彼の耳にとどくなら 彼の心をよみがえらせたまえ!
竪琴を奏でる愛の神とは、音楽の神といえるだろう。わたしにとって耐えがたい世界であっても、音楽の助けによって生きていける。だから力を与えたまえという祈りの歌なのである。ブラームスにとって音楽こそが「花嫁」だったのではないか。『アルト・ラプソディ』はそんなブラームスの信仰告白の歌ではなかったか。