若きヨハネスの悩み―ブラームス「エドワルトのバラード」作品10ー1

 1853年、シューマンのもとを訪れた時、ブラームスは20歳だった。後年のヒゲおじさんではなく、若きヨハネスは大変なイケメンだった。


天才の出現にシューマンは驚喜し、「新しい道」という評論を書き、鳴り物入りで、ブラームスを楽壇に紹介した。尊敬すべき師との出会いもさることながら、ヨハネスにとってシューマンの妻クララはまさに光のような女性に映った違いない。しかし、翌年、シューマンは投身自殺を図った。一命はとりとめたものの、2年後に他界。残されたクララのために助力を惜しまないブラームス。よく知られた話ではある。

シューマンの自殺未遂の数ヶ月後、ピアノのために『バラード集』作品10が書かれた。バラードとは物語性を持つ詩に基づく楽曲で、作品10は4曲から成る。第1曲が「エドワルトのバラード」とも呼ばれるのは、ヘルダーが編纂したスコットランドの民族譚「エドワルト」に拠るからである。この譚詩は別名「父親殺しのバラード」ともいわる。内容は以下のよう。

  血に染まった剣をもつ息子エドワルト
  母親は「どうしたんだ」と問いかける。
  するとエドワルト「鷹を殺したんだ」
  「鷹の血はそんなに赤くない」
  「馬を殺したんだ」
  「そんなはずはない。あの馬は年老いてて、殺す必要もなかったはず」
  「じゃあ、いうよ。オヤジを殺したんだ!」

後年の絶対音楽の信奉者たるブラームスは、ここでは標題音楽作曲家のように白熱した母子のやりとりを描く。

それにしても、なぜこの時期に、ブラームスは父親殺しのテーマを選んだのか。事件の直後だけに、シューマンの自殺未遂と無関係とはとうてい思えない。恩師の不幸はヨハネスにクララへの接近を正当化するという皮肉?をも生んだ。そんな中で、ブラームスの心の中にどんな嵐が巻き起こっていたのか。その一端を示すのが「エドワルトのバラード」なのだろう。そして、ブラームスという人間を考える上でも避けてはとおれないのが、作品10なのだろう。