祈りは凱旋の雄叫びへ―ブラームス交響曲第1番

彼はやたらとテンポを変えたがる。ある時、ブラームスはハンス・フォン・ビューローの指揮について、不満を漏らしたという。「必要なら、ちゃんと指示してあるのに」。だがビューローだけではなさそうだ。

ブラームスでテンポの問題が浮上するもっとも有名な例は、交響曲第1番の第4楽章だろう。クラシック・ファンならお馴染みのところだが、スコアに立ち戻って、少しばかり考えてみよう。

普通の演奏?

春のほのかな陽光が射すような第3楽章から、第4楽章が始まると、一転して、暗澹たるハ短調の世界に引き込まれる。第1楽章の闘争が呼び戻されるようだ。テンポはアダージョ。

暗闇を模索するような動きから、逡巡と奮起を繰り返し、緊張が徐々に高まる。そしてついに葛藤が最高潮に達したところで、ティンパニが炸裂する。そしてあの感動的なホルンの響きがこだまする。

みんな知っているところだが、クラシック音楽でももっとも素晴らしい頁のひとつなので、つい書いてしまった。しかし問題はこれからである。ホルンの呼びかけは「外」からだった。闇を払う救済の響きである。しかしそれを「内」で応えるようなコラールが続く。譜例左である。

そして同じ旋律がスケール・アップして最後にコーダで回帰する(譜例右)。ここをどう演奏するか。カラヤンの映像を見てみよう。少し前から、1981年の東京公演のようだ。

コラールが帰ってくるところで、がくんとテンポを落としているのがよくわかる。 これが普通の習慣的な演奏である。

だがテンポを落とせという指示はスコアにはない。

ちなみにカラヤンの演奏に一言加えておこう。 主部のテンポ指示は「速すぎないアレグロ、ただし生き生きと Allegro non troppe, ma con brio」というブラームスらしい、長ったらしいものだった。 これがコーダでは「もっと速く Più allegro」となる。 一段、加速のギアを上げた感じである。 しかしカラヤンはあまりコーダでテンポを上げていない。 これはこの後出るコラールで速度を落とすため、テンポの断絶を少しでも目立たせないようにするための配慮か。

内から外へ

第4楽章は4つのテンポのセクションがある。1)アダージョ→2)ピュ・アンダンテ→3)アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ→4)ピュ・アレグロ、である。このテンポ・クレッシェンドの構想は、シューベルトの『グレイト』第1楽章の影響があるのは明らかだろう(ちなみにブラームスは『グレイト』の校訂をしている)。

問題は、習慣的な解釈では、2で出る旋律を最速の4でも同じテンポで演奏していることである。理由は単純に旋律そのものが同じだからだろう。ブラームスが指示を書き忘れた?

しかし旋律は同じでも、書法は違う。違いを列挙しよう。2の旋律と4の旋律をそれぞれ「2」「4」の数字で示す。

1.拍子の変化
2は四拍子だが、4は2拍子である。4はもとの2倍のリズムで書かれており、速度が2倍になっても、コラールのテンポ感は変わらないはずである。しかし四拍子が二拍子となると、理論的には倍のテンポとなる。

2.奏法への指示
2では「弱音で、柔らかく p dolce」とあり、それぞれの音にポルタート(スラーとスタッカート)がついている。ある種、粘着的なつながりをもたせて、音を切るイメージである。一方、4にはフォルテシモしかなく、奏法のニュアンスの指示はいっさいない。

3.トロンボーン
2で旋律を担当するのはトロンボーンである。ファゴットとコントラファゴットは低音と響きを補充する。これまでの楽章で沈黙を守ってきたトロンボーンがここで満を持して登場することは、この楽器へのブラームスの強いこだわりを示す。トロンボーンは伝統的に教会で用いられた。ちなみにホルンは狩の楽器であり、トランペットは権力を象徴し、戦争や勝利を音で彩る。こうした世俗的な金管楽器に対し、トロンボーンは宗教の楽器なのである。しかも4ではコラールを奏する。明らかに「祈り」なのである。

4.楽器法
もう一度、スコアをご覧いただきたいが、2ではつぶやきのようだったコラールは、4では重厚にスコアリングされて回帰する。旋律を担当するのはオクターヴの第1ヴァイオリン、及び第2ヴァイオリンだが、他の楽器もかぶる。当然、トロンボーンだが、コラールの突然の出現を音圧的に支えるためにも欠かせなかったろう。しかし注目すべきは、最初の4小節の後は、トロンボーンは脱落してしまうのである。代わりに旋律を担うのはトランペトである。

これらすべての要素が同一の旋律の加速を示していないか。さらに性格の変化、すなわち柔和から豪放へ、さらに内から外への変貌を告げていないか。まるで「祈り」が「凱旋の雄叫」へ達したかのように。

そこにブラームスの真意と創意を見るべきではないか。

本論の実証ともいうべき古典的名演としてベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏をあげておく。