モーツァルトは第2主題で遊ぶ―ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467 第1楽章

ピアノ協奏曲ニ短調K.466の第1楽章で、モーツァルトはちょっとした形式「違反」をやった。オーケストラ提示部で第2主題を出さず、ソロ提示部の独奏ピアノのために「とっておいた」のである。どうしてそうしたのか。その理由にはモーツァルトの天才の何たるかが秘められている(「モーツァルトの創意、ベートーヴェンはどう聴いたか―短調のピアノ協奏曲」参照)。彼はさらなる別のアイディアをもって次のハ長調の協奏曲K.467に臨んだ。

行進曲風の第1楽章が始まる。第1主題である。

新モーツァルト全集第16巻KonzerteⅢでは、下のように「アレグロ・マエストーゾ Allegro maestoso(堂々たる快速調)」とある。脚注にはこう説明されている。「自筆譜にテンポの指示はないが、モーツァルトみずからの『自作品カタログ』への書き込みに記されている」。しかし同じソースから出ているはずのスコアは Allegro のみであり、何の説明もない。自筆譜至上主義を標榜している校訂者が自筆譜にないテンポを書き込んだのか。結果もさることながら、どうしてそう判断したかを記すのが校訂だと思うのだが。

曲はトゥッティに流れ込み、28小節目から、まずホルンとトランペット、それから木管に第2主題が出る。

調性はハ長調のまま。第2主題はソロ提示部で属調(この場合、ト長調)に行くが、オーケストラ提示部では主調にとどまる。定石どおりである。ここまでを実際の演奏で確認してみよう(冒頭から。アレグロ・マエストーゾ感があるバレンボイム弾き振りの旧盤で)。

オーケストラ提示部が退くと、独奏ピアノが導入のためのパッセージ(アインガング)で加わる。前作のニ短調K.466もそうだったが、ピアノがすぐに第1主題をとりあげて、ソロ提示部を始めることはしない。なぜなら、ともに冒頭の第1主題はピアノ向きではないからだろう。だから第1主題とは別の楽想でピアノが入ってくるのである。ニ短調では見得を切るようなピアノの台詞だったが、ハ長調ではピアノ的としかいいようのないアルペジオでソロが登場する。

第1主題の後、ピアノが流麗なパッセージに流れ込むと、突然、ト短調の楽想が現れる(第109小節)。「40番」ト短調交響曲K.550のあの主題によく似た旋律だが、交響曲と同じ、ここでも調性はト短調である。しかしこれはト長調の第2主題への布石であることがわかる。ト長調の第2主題がソロ・ピアノで出る。まさにピアノらしい主題である。

こうしてソナタ形式の構成を踏まえ、音楽は進行していく。特に展開部はピアノの独白から始まり、徐々に楽器が増えて盛り上がり、再現へ向けて虹を架ける。第1楽章でもっとも美しい部分といいたくなる。

再現部も首尾よく音楽は進む。第1主題、そして、もちろんハ長調に戻った、第2主題……。ところが、そのままカデンツァに向かうかと思いきや、音楽がまた別の方向へ? 何と、あのオーケストラ提示部の第2主題が戻ってくるのである。ホルンとトランペット、それに木管のあの懐かしい?響き。忘れかけていた存在が戻ってくる驚きと喜びは小さくない。モーツァルトはこの不意打ちを楽しんでいるようだ。

そうか、モーツァルトはオーケストラ提示部とソロ提示部にそれぞれ別の第2主題を置き、再現部で両方とも出したのだった。だから第2主題は2つあり、前者を2a、後者を2b とでもすべきだったろう。前作も含め、図示すると、こうなる。

ちなみに次のピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482も同じ工夫を続けた。2つの第2主題を採用したのだが、ただし今度は再現部での提示の順をa→bとした。つまり第21番の順番をひっくり返したのである。モーツァルトは第2主題で遊んでいるようだ。

なお次の第23番イ長調K.488 では、スタンダートな協奏風ソナタ形式に戻った(第2主題1つ)。そしてハ短調の第24番K.491はニ短調K.466と同じ方法論を踏襲した。次のシンフォニックな第25番ハ長調K.503ではどうしたか? それは聴いてのお楽しみということにしておこう。

モーツァルトが丹精込めて仕掛けた遊びを知り、耳で確認し、ともに遊ぶ喜び。それは純粋に音楽的な楽しみである。ただし遊びは勝手気ままに振る舞うことではない。ルールがなければ遊びそれ自体が成立しない。この場合、ルールとは協奏風ソナタ形式のレギュラーな図式にあり、それを知っておくことで、遊びに参加できるのである。そしてイレギュラーなものを間違いだと決めつけたり、排除したりするのではなく、逸脱するものにこそ創意を見い出す姿勢が必要なのである。

21番の工夫は20番での第2主題の創造的な処理によって可能になったのではないか、と想像したくなる。しかしこの仮説はおそらくは間違いである。なぜなら21番と同じ仕掛けをした曲が、20番以前に存在するからである。それはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364である。これについては別に触れる必要があるだろう。