心の琴線に触れる響き2―ソナタK.7から『フィガロ』へ、そしてデカルト
幼いモーツァルトが偽終止の響きに執着したのは疑えない。和声学の初歩に出てくる終止形である。ヴォルフガングもほとんど物心つくかつかないかで学んだだろう。しかしそれはただのとおり一遍の知識ではなかった。彼にとって何か大切な響きだったのである。
確認しておけば、偽終止とは、1)不完全な終止であり、文章でいえば「。」にはなりえない。「、」、時には「?」といったニュアンスを帯び、解決待ちの状態となる。2)響きは暗く、動作の不安定さとあいまって、心理的に不安を呼び起こすようでもある。
ここであるエピソードが思い浮かぶ。
ぼくのこと、好き?
モーツァルト家の交友関係の中で、シャハトナー Andreas Schachtner (1731 – 95)という人物がたびたび登場する。レオポルトの音楽仲間で、トランペットを吹き、「バターのヴァイオリン」も弾いた。柔らかくてつやのある音色からヴォルフガングがそう呼んだのである。後年シャハトナーはジングシュピール『ツァイーデ』K.344(1780年)の台本を書くことにもなるが、幼いモーツァルトとは、歳の差を超えて、根っからの仲良しだったようだ。
ヴォルフガングにはある口癖があったとか。「ぼくのこと、好き?」と尋ねるのである。ある時、シャハトナーにもこの問いを発した。すると意外な返事が返ってきた。シャハトナーは「ノー」といったのである。もちろん冗談である。こんないたずらっぽいからかいができたほど、二人は仲良しだったということだろう。
ところがヴォルフガングには冗談どころではなかった。彼の目から、見る見る涙が溢れたというのである。
幼少期を飾る小さな逸話にすぎないかもしれないが、モーツァルトの本質を明かすエピソードに思えてならない。
一般的に、問いを発するということは、すでにある応えを準備、あるいは期待していることでもある。われわれは予想された反応をもとに、実際に帰ってきた返答との差異の間で受け応えする。期待に沿った反応なら「……だよねー」とか。思いもかけない変化球が帰ってきたら「えー、ありえない」とか「うっそー」とか。その間の無限のニュアンスのうちで、われわれは会話を成立させている。
「ぼくのこと、好き?」を投げかけた時も、ヴォルフガングは反応を予想していたはずだ。「イエス」「もちろん、大好きだよ」とか。ところが結果はまるで違った。ありえない返事。やり返すことも、はぐらかすこともできないほど、モーツァルトの心は動転し、会話は途絶えた。理性の制御は効かず、ただ涙があふれ出るしかなかった。
人生は予定調和ではない。
この心理的プロセスは偽終止に似ていないだろうか。予期しない、しかも暗い方向への展開。「ノー」という返事と同じである。その時、心はうちふるえる。
ヴォルフガングはそこに何か痛切なものを感じた。「心」の存在を感じた。
というのも「心」はうちふるえてはじめてその存在が実感されるだろうから。何の問題もない無風状態では、心そのものも眠っている。現実とのずれが生じた時、心が顕れる。心をとらえるとしたら、まさにその時でなければならない。そこで「表現」が生じる。「ぼくのこと好き?」で涙を流す幼子と偽終止に感じ入る神童は、深いところ、すなわち心の機微において、結びついていたに違いない。
「心の表現者」としてのモーツァルトの卓越した才能は、幼年時からの「ぼくのこと好き?」を発する異常なまでの愛の感受性と通じていたのだろう。心は「好き」=愛の器官なのである。
デカルトの『情念論』
ところで、シャハトナーのからかいによって。ヴォルフガングに突然生じた感情を、何というべきだろう。デカルト René Descartes(1596-1650)なら「悲しみ」といっただろう。
バロック的人間観を論じたデカルトの『情念論』(1649年)は「悲しみ」と対になる「よろこび」を次のように説明した。
外界からの刺激を受け(受動)、それがわたしの中で愛を生じさせた時、それは「よろこび」となる。よろこびはわたしを促し、さらにそれを得ようと、外界にはたらきかける(能動)。つまり感情は人を受動から能動へ転換させる基盤となる。
悲しみはよろこびの逆である。外界からの刺激を受け、それがわたしの中で「憎しみ」「嫌悪」を生じさせた時、それは「悲しみ」となる。悲しみはわたしを促し、それを遠ざけようと、外界にはたらきかけることになる。「憎しみ」は「愛」の対極にある。
デカルトの議論が感情のメカニズムを完全に解明しているかどうかは別にして、古典的な感情の説明といえる。たとえば、幼いモーツァルトの「ぼくのこと、好き?」で生じた心の動きを『情念論』的に説明してみよう。
もしシャハトナーが「好きだよ」と応えていたら、質問していたヴォルフガングの中に愛が呼び起こされ、それゆえよろこびが湧きあがっただろう。しかし実際は正反対だった。すると愛と逆の思いが溢れ出し、悲しみに襲われた。こう説明されるはずである。
伯爵夫人の感情
ソナタK.7の23年後、ウィーンでオペラ『フィガロの結婚』K.492が書かれた。モーツァルトはすでに音楽家としてはさまざまな修練を、人間としてもさまざまな経験を経ていた。父親から独立し、結婚もしていた。バッハの音楽を知った「危機」も乗り越えていた。あの偽終止の用法も消化され、曲の要所でいい味を出していた。あらゆる意味で『フィガロの結婚』は満を持しての創作だった。
オペラの筋について多くの言葉を費やす必要は無いだろう。浮気のターゲットを漁る伯爵の話である。新たな標的は夫人の侍女スザンナだったが、何と彼女は自分の従僕フィガロとの結婚を控えていた。そこで巻き起こる珍妙な騒動。伯爵と平民の階級闘争を見る向きもあるだろうが、ここでは拘泥しない。むしろ現実に対峙する伯爵夫人に注目したい。
浮気のための策略が白日の下に暴かれた最後の場面(第Ⅳ幕フィナーレ)。さあ、どうする?伯爵。もう逃げも隠れもできない。彼は伯爵夫人に懇願するのだった。「なあおまえ、赦せ、赦せ、赦してくれ!」。素直な反応だった。
伯爵夫人はこれにこう応える。「わたしはもっと素直です。だからハイといいます。だからハイといいます」。赦すというのである。
夫人の音楽の和声法に注目。あの偽終止の登場となるのである。最初の2つが偽終止(譜例 青)、最後に完全終止(譜例 赤)となる。
歌詞との関連でいうと「わたしはもっと素直です」で偽終止となり、途切れる。ただし完全な終止を待機している状態であり、音楽は、すなわち「思い」は、暗い響きの余韻とともに継続している。次の「だからハイといいます e dico di sì」の「ハイ sì」はドミナントD7の上に不安定に置かれ、完全に終止するかと思いきや、またEmへ偽終止。再び影へ傾き、安定には至らない。しかしこの「だからe」のEmはすでに安定的なカデンツへ向かっており、肯定への意志を秘めている。そして最終的に「ハイ」で完全終止するのである。
伯爵の「赦せ」は受け容れられたが、そこにいたるまでの心の陰影の移ろいがハーモニーによって絶妙に描かれているのである。
たかが和音の問題じゃないか、といわれるかもしれない。しかしすべてを完全終止にしたら、ただのきれいごとのお話か、鉄の女の台詞と化してしまったろう。だが伯爵夫人は現実のまっただ中を生きる生身の女性だった。
伯爵夫人の心理をデカルトで解釈すると?
「わたしはもっと素直です」と歌い出す伯爵夫人の音楽は、最初から受け容れを目指してはいたのである。しかし決意した「ハイ」に至るまで、心は揺れたということになる。偽終止は最終的な受け容れに至るプロセスで、段階的に配置されていた。
ではそもそもなぜ夫人の心は揺れたのか。彼女はこの「たわけた一日」だけでも、好色なくせにひどく嫉妬深い伯爵との修羅場を、何度となく、くぐり抜けてきた。そんな男がついに追いつめられて「ごめんなさい」だと。伯爵夫人が選んだ道は「わかりました。それじゃすべて水に流しましょ」でも「金輪際、絶対に赦さない」でもなかった。
敢えていえば「あなたの浮気の虫がそんなに簡単に治まるとは思えない。それはわかっている。でも未来を信じて受け容れましょう」ということだろう。信じる理由、すなわち夫人の心情は、第三幕第20番のレチタティーヴォとアリアで明かされている。アリアではこう歌われる。
どこに行ったの あの素晴らしかった時 甘美な喜びの時は
どこへ行ったの 偽りの舌が語った あの誓いは
すべてが涙と痛みに変わってしまったのに
あの素敵な思い出は なぜ わたしの胸から消えてしまわないの
ああ! もし 苦しみながら愛し続ける わたしの変わらぬ思いが
あの不実な人の心を変えるという 希望を与えてくれるなら
つまり愛がまだくすぶっているというのである。くすぶる場所は素晴らしかった過去にある。かつての愛の真実を信じなかったら、わたしの存在はどうなるのか。過去は未来へ向かう拠りどころとなる。だからこそ「変わらぬ心」をもって未来に臨もうという。
こうした夫人の心模様をデカルト的に解釈すればどうなるか。
伯爵夫人の心の根底には揺らぎながらも「変わらぬ愛」がある。彼女に夫を赦させたものである。デカルト的には愛はよろこびの源である。しかし夫の不実は「憎しみ」の対象である。「赦してくれ」で夫の浮気癖が一挙に解消したと信じるには、夫人は人生を知りすぎている。それは悲しみをもたらす。
デカルトの感情論は人間=感情という時代に共有された人間観の表明だったといえよう。音楽における「情緒論 Affektenlehre」に拠ると、同時代の音楽は特定の感情を音型、音程、リズム、調性などの音楽語彙へ様式化することで、感情を描写しようとした。こうしてひとつの楽曲はひとつの感情を描き出すべきだとされた。あるアリアは悲嘆を、ある楽曲は怒りを表現するということになる。
ところが伯爵夫人の心には、愛と憎しみが、それゆえよろこびと悲しみが混在している。1曲=1感情ではありえない。「喜び」と「悲しみ」は明確に区別されるのではなく、よろこびに悲しみの影が射したりもする。曲どころか、フレーズの中でも感情が交錯するのである。
そして、それが現実なのである。モーツァルトは『フィガロの結婚』で現実をとらえたのである。
現実の発見
神童としてもてはやされた幼少期、モーツァルトはアイドルだった。みんなに愛された。「ぼくのこと、好き?」と聞いても、「イエス」以外の答はまずありえなかった。だがもっともありえない相手から「ノー」が返ってきた。この予期せぬ暗転にヴォルフガングの心は乱れたのだった。
成長したモーツァルトの人生は順風満帆ではなくなった。才能が驚異をもって迎えられたことに変わりはなかっただろう。しかし反応は賛嘆だけではなく、さまざまだった。恐れられ、妬まれ、利用され、疎まれさえした。「才能はこの半分でいいから、もう二倍も業師だったら、わたしは彼の成功をちっとも心配しないでしょう」*ともいわれた。明らかに世界は「みんな、きみが大好き」ではなくなっていた。「ノー」も普通の世界である。
*パリのグリムからザルツブルクのレオポルト宛ての1778年7月27日付の手紙。『モーツァルトの手紙』吉田秀和訳、講談社、1974年、138頁.
そんな現実世界での心の動きを、モーツァルトは幼少期に知った偽終止で表現したのだった。ただし、いっそう精妙に、である。なぜなら人生は「好き/嫌い」ではないからである。イエスかノーかでも、白黒でもない。愛と憎しみはない交ぜになっている。だから子供の時のような反応はできない。涙をこらえて笑わなければならないのである。
その表現はロマン派を先どりしているようだ。「泣き笑い」などシューマンの芸術の神髄である。しかしロマン派様式では似た効果を得るために、長調で同主短調の和音を借用するのが普通である。つまり、たとえばハ長調にハ短調固有のマイナー・コード(Fm[ファ・ラ♭・ド]など)をもち込むのである。しかしモーツァルトの音楽では他調のコードを借りたりはしない。同じ調の中のマイナー・コードを使う。そのため自然であり、あくまでもさりげない。伯爵夫人の高貴さも失われない。だから「きれいなだけ」といわれたりもする。
モーツアルトには心の琴線に触れる響きへの鋭い感受性と志向があった。K.7では抽象的だった心の動きは、今や伯爵夫人の音楽の歌詞によって、より成熟した形で、解釈されるのかもしれない。そこに映し出されている変化は、表現されるべき心の動きそれ自体の変化・成長でもあったことはいうまでもない。しかしどこか通底しているようでもある。
「モーツァルトの悲しみ」と人はいう。しかしそれはどんな悲しみなのか?「嫌いだよ」といわれた時の悲しみなのである。後年、悲しみはひっそりと秘められた。モーツアルト好きとは、それが聞こえる人なのだろう。