心の琴線に触れる響き1―初期作品におけるモーツァルト的なものの萌芽

モーツァルトのシンフォニー第1番について、モデルとなった作品と比較して、ザスローは次のように結論づけた「K.16と(ヨハン・クリスティアン)バッハの作品3や、アーベルの作品7との間には、長さ、複雑性、オリジナリティの点でほとんど遜色がない」*。

ニール・ザスロー『モーツァルトのシンフォニーⅠ』永田美穂訳、磯山雅監修、東京書籍、2003年、107頁.

そのとおりだろう。さらに別頁(本ブログ内「モーツァルトを科学する―初期シンフォニーが明かす創造の秘密」)で論じたように、K.16に潜在する音楽への洞察力と審美眼は、楽曲の密度を高度化する意識として顕在化し、モーツァルトに創造の飛躍を促したかに見える。純粋に音楽的な発展を促す原動力が垣間見えるということである。

しかし、最初期の作品のうちに、音楽的というより、いっそう「人間的なもの」がすでに認められるようでもある。心の琴線に触れる「声」がかすかに、しかし確かに響いている。このモーツァルト的としかいいようのないものは、彼の生涯を貫く基礎低音といえるだろう。いわばその萌芽を初期作品に聞く。

詩的な世界が三連リズムで揺れる

1763年6月、モーツァルト一家はヨーロッパを周遊する大旅行に出た。11月にはパリに到着した。翌年の3月、ヴォルフガングの「作品1」が出版された。クラヴィーアのためのソナタK.6と7であり、「 ヴァイオリンの伴奏による演奏も可能」とある。

神童の最初期の作品の常として、過大評価も過小評価も慎むべきだろう。過小評価についていえば、当時の音楽の真似だとして、これらの作品を環境へと完全に解消すべきではない。なぜなら、流布している音楽的素材や様式をそのまま使ったとしても、あるいは使わざるをえなかったとしても、それらの「選択」において作曲者の志向が必ずはたらいているからである。具体的に見てみよう。

ソナタ第2番K.7に光る曲がある。第2楽章アダージョである。

7歳の少年がちょっとお澄まし顔で描いたというより以上の、詩的な世界が広がるようだ。アダージョのほとんど全体を通じて、内声で三連リズムが一貫する。きわめて特徴的な書法だが、当時の誰の、どの作品からの借用かは明らかにされていないようだ。しかしそんな学術的興味なしに、音楽を楽しむことができる。

アダージョはアンダンテの「普通のゆっくり」より遅い、「普通でない」テンポといえる。このことはK.6から9までの4曲の「パリ・ソナタ」、K.10から15までの6曲の「ロンドン・ソナタ」の合計10曲中、この1曲だけアダージョであることからも理解できる。ほかのソナタの緩徐楽章はすべてアンダンテである。

「歩くような速さ」のアンダンテの運動性が後退する。より遅いということは、いっそう安定に向かう。ところが三連リズムは不安定である。安定を志向するテンポに、不安定なものがうごめく。沈潜する世界に何かが波打つ。

右手とヴァイオリンの2のリズムと、一貫する3のリズムのずれが、緊張と不安を醸し出しもする。

この特殊な音楽的効果への関心・興味は、モーツァルトにとって、決して一時的ではなかったようだ。

パリ訪問後、ロンドンに渡っても、モーツァルト一家は熱狂のうちに迎えられた。ただ過労のためか、父レオポルトが病気に倒れ、療養のためにロンドン郊外のチェルシーに滞在することになった。その時、モーツァルトが書き残したスケッチが『ロンドン練習帳』K.15である。全43曲からなり、第35曲にこんな書法が見られる(下の譜例上段)。

一貫した三連リズムは、明らかにパリの余韻のようだ。そして譜例下段のシンフォニー第1番K.16の第2楽章アンダンテで、余韻は「余震」となるかのようだ。調性はハ短調となり、これまで長調で隠されていた不穏なものが呼び起こされ、暴き出される。三連リズムの3とバスのリズム2の軋轢は最大限の効果を発揮し、音楽を引き裂くようでもある。

まるでオペラの一楽曲のような表出性の強い音楽だが、その場面たるや、とても「平時」を想定できない。

ショーベルトの深い影響

明らかにモーツァルトは三連リズムの効果に強い印象を受けた。前述したように、その由来については具体的な解明がないようだ。ただ「パリ・ソナタ」の成立にかかわる作曲家としては、当時の「ヴァイオリン伴奏つきソナタ」の流行を主導していたというヨハン・ショーベルト Johann Schobert (?– 1767)の名前がよくあげられる。

この説はかなり有力なのかもしれない。というのも、動かぬ証拠があるからである。次の曲は、かつてモーツァルトの第2番としてカウントされていた、ピアノ協奏曲の第2楽章である。引用は独奏楽器のソロから。

実はこの曲はモーツァルトがほかの作曲家の作品をピック・アップして改作し、ピアノ・コンチェルトにまとめあげた楽曲だったのである。ヨーロッパ大遠征から帰還した1767年に企てられた作業とみなされる。原曲については、第1楽章と第3楽章はラウバッハの作品だった。そして譜例の第2楽章は、ショーベルトのソナタ作品17-2の第2楽章だったのである。

明らかにショーベルトからモーツァルトへの直接的な影響の証拠とみなしうる(ちなみに、なぜか、新モーツァルト全集からは却下されたようだ)。特に重要なのは、三連リズムの特徴的な用法である。ここからK.7のアダージョから繋がる「三連符の系譜」の源にショーベルト作品があったのではないかという想像・仮説に導かれる。

そして1778年、再びパリを訪れたモーツァルトは1曲の短調ソナタを書いた。イ短調ソナタK.310である。周知のように、同伴した母親が客死するという衝撃のもとでの作曲だった。第1楽章は厳粛な悲劇性に彩られ、第2楽章では慰めの時が到来するかのようだ。ところが展開部であのパリの作曲家のリズムが亡霊のように立ち現れる。

「右手=三連リズム」対「左手=旋律」という書法、それに音型そのものもそっくりだが、音楽の性格としてはK.39とK.310では長調と短調、およびピアノとフォルテの違いが大きい。それはちょうどソナタK.7のアダージョとシンフォニーK.16のアンダンテの違いでもある。

パリという同一の場所で、タイムマシンで復活したかのようなリズムである。それもおどろおどろしい悲劇的な装いをまとってのよみがえりだった。

三連リズムの効果はある特別な意味をもってモーツァルトの音楽に浸透し、彼の語法に昇華されたように思われる。その起点はショーベルトにあったのかもしれないが、K.39の響きなど後のモーツァルトを彷彿とさせずにはおかない。影響は永続的であり、ピアノ協奏曲第21番ハ長調の第2楽章のあのアンダンテで「聖化」されたようだ。

偽終止の響き

K.7のアダージョで、さらに気になる響きがある。もう一度引用してみよう。ぜひクラヴィーアのパートを弾いてみていただきたい。売り文句にあるように、ヴァイオリンのパートは付随的で、無しでも音楽の実質に大きな変わりはない。そして譜例の青で示したところに耳を傾けていただきたい。可能なら、下に記した普通の響きと比較していただきたい。

これはいわゆる和声法でいう「偽終止」である。ト長調のドミナント7th(Ⅴ7)のD7はトニック(Ⅰ)のGへ解決する。これが普通の安定的な終止である。しかしドミナントの進行にはもうひとつの可能性がある。G(Ⅰ)へ行くと見せかけて、Em(Ⅵ)へと転じるのである。「間違えた終止 false cdence」であり、安定度は弱く、中断的で、不完全な終止である。そのため、音楽を終止させるためには、もう一度Ⅰへ解決される正規のカデンツが置かれる必要がある。事実、ここでもそうなる。

機能的な説明とともに、偽終止の響きとしての特徴も見逃せない。実は普通の終止であるGに対して、普通でない偽終止はEmなのである。マイナー・コードの暗い響きが唐突に響く。この唐突感は、聴き手が、無意識のうちに、Gを想定していたことから生じる。譜例では青で示したが、それをどう感じるか、である。

そこで心に沁みる響きがひらめかないだろうか。一瞬、暗い影が射し込み、心がふるえる。

少なくとも、モーツァルトはそう感じ、それを使いたいと思ったに違いない。なぜなら幼いヴォルフガングは偽終止を執拗に用いたからである。構造的に必要とされる以上に多用されているとしたら、それは作者の「主観的なもの」が反映されているとみなすしかない。偽終止の響きが「気に入った」に違いないのである。このアダージョでは、リピート記号前のいわゆる提示部だけで、3度も使われている。過剰といわざるをえない。

実は偽終止は1番のソナタK.6の第1楽章でも特徴的に使われていた(第24小節)。しかしさらに驚くべきは、記録されたもっとも最初期の作品に、K.6のひな形ともいえる用法が見られることである。1762年1月の日付でレオポルトによって記された、メヌエットK.2である。

曲の最後でここぞとばかり偽終止が投入され、音楽が一旦停止する(譜例青)。そしてだめ押しで最初の4小節が再帰し、曲を締める。フェルマータのところで感じ入った顔をする幼児が思い浮かぶ。

モーツァルト家の旅行用クラヴィコードによる筒井一貴氏による演奏

すでに幼少期からナンネルが弾くクラヴィーアに親しんでいたモーツァルトだったが、有名な逸話がある。鍵盤上で3度の響きを探し出し、うっとりと聞き入っていた、というのである。ほとんど幼児の時から、響きへの感受性が異常に強かった。しかし、ただ耳だけでなく、心に響く感性も備えていた。

心の琴線に触れる響き

特定の響きへの「好み」がすでにモーツァルトの幼少期にあったというのは驚くべきことであろう。しかもそれは心の琴線に触れるような響きだった。これは音楽の表現、あるいは内容にかかわる。

われわれはすでにモーツァルトが類い希な審美眼により意識を研ぎ澄まし、音楽的実質を追求する音楽家であったことを見た。しかし、それだけでなく、彼は「心の人」でもあった。モーツァルトでよくいわれる「形式と表現の一致」という古典主義的な志向の土台が、すでに最初期に在ったということになる。

そして耳から心へ至る芸術という音楽観、あるいは哲学は、モーツァルトの生涯を貫くことになる。後に、形骸的な様式美に傾きがちだったオペラに大革命を起こすのも、必然性があったということである。「心の琴線に触れる2」ではその一例を見てみよう。