絡み合う夢―シューマン「トロイメライ」解読2
あまりにもシンプルな音楽に奥行きを与え、より興味深くする方法のその2。もしあなたに「トロイメライ」の旋律が降りてきたら、左手にどんな伴奏をつけるだろう。こんなのだろうか?
興醒めじゃないだろうか。これはアルベルティ・バスといい、モーツァルトの前の時代に大流行した簡易バスである。啓蒙主義が吹き荒れ、王制が傾き、音楽が宮廷から市民生活に流出した時代だった。市民の新しい高尚な娯楽として、音楽に「快さ」と「わかりやすさ」、そして「演奏の易しさ」が求められた時代のお手軽なスタイルが、アルベルティ・バスなのだった。
アルベルティという創始者から名がつけられたというバスがどうしてわかりやすいか。音楽的情報は右手の旋律に集中し、もはや左手に関心をはらう必要がないからである。このスタイルをホモフォニーということがある。
つまり、わかりやすいとは一義的であることの別名だが、もっといえば「つまらない」「見え見え」「浅い」ということにもなりかねない。ところでホモフォニーに対するのがポリフォニーである。ホモフォニーは旋律主導で、ほかの声部は補助的・背景的な地位に脱落する。しかしポリフォニーは複数の独立した旋律が同時進行するというもの。旋律はそれぞれの性格を持っているから、重なれば、音楽的情報は飛躍的に多くなる。つまり多義的になるということ。音楽が深化する。
実はフランス革命に象徴される時代は、伝統的なポリフォニーを根こそぎにし、音楽をただの娯楽へと失墜させてしまったのだが、次の時代のハイドン、モーツァルトの課題はそれをいかに芸術化するかだった。この困難な課題の解決はポリフォニーの創造的な復権にかかっていた。歴史的な事象は個別的にも妥当する。ポリフォニーをとり込むこと、音楽を対位法化することは、時代を超えて「わかりやすすぎる」音楽を芸術的にブラッシュ・アップする重要な方法となるのである。
シューマンの音楽的感性は「トロイメライ」の旋律にド・ソ・ミ・ソの伴奏をつけることを許さなかった。彼は対位法的に思考し、ポリフォニーの要素をとり込んだのである。冒頭8小節を譜例で示してみよう。曲の対位法的側面をわかりやすく示すため、若干、音を省いたり、変更したりしている。
旋律+副次的な伴奏ではなく、それぞれの声部が自主的に動いているのがよくわかる。最初の4小節では、ソプラノにテノールが寄り添うように二重唱を歌い、最後にバスが入ってくる。まるで合唱だ。
これはポリフォニー的だといっても、バッハのような各声部の独立性が強い厳格なポリフォニーではない。しかし音楽を安易に流さないポリフォニーの思考が浸透しているのは間違いない。後半の4小節では、赤で示した音型がゆるく模倣され、すべての声部にいきわたる。夢は絡み合い、ますます深くなる。
だからシューマンの演奏ではポリフォニーの感覚が重要となる。というのは、各声部を強く浮き上がらせろというのではない。ちょうど弦楽四重奏か何かで演奏する時のように、声部に応じた音色、ニュアンスの描きわけが究極の課題となるのだろう。
「音楽には二種類ある。どうでもいい音楽とポリフォニーだ」とマーラーはいったとか。シューマンは「トロイメライ」をどうでもいい音楽にはしなかった。