よどむ夢―シューマン「トロイメライ」解読3

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前回の解読2の「あなたに『トロイメライ』の旋律が降りてきたら」という「もし」から入ろうかな。「楽譜にするとしたら、どんな形で書き下ろしますか?」。閃いたメロディを五線紙で表す。少なくとも、わたしなら、譜例上のようになると思う。

下がシューマンの完成版。わたしの仮説では、シューマンも、最初、自然発生的に上が浮かび、「面白くない」という判断のもとで、下のように手を加えたのではないかと思う。なぜなら上の方が「自然」だから。

「何に」自然? 「拍子」に対してである。

そもそも上と下ではどこが違うか。下の完成版では最初の小節の頭の主音Fが1拍引き延ばされている。結果として、その後、すべてが1拍ずれている。最後の半終止の着地点Gは2拍目の弱拍に降り立つ。いわゆる女性終止的だが、さらに決定的なのは、ハーモニーの転換点である。普通はコードは小節ごとにチェンジするが、2小節目の2拍目にFからBフラットへ移る。これは旋律の頂点の音であり、クライマックスが弱拍に来ることになる。

要するに、拍子、すなわち小節線との関係がずれており、スラーも小節線を越えることが多くなる。しかし上はすべての面で明快である。赤で示した単位となる音型の収まりもいい。

とはいえ、拍子と旋律の関係はずれており、曖昧かもしれないが、疑いなく、精緻な音楽思考の結果だろう。ちなみに、上のように歌ってみるとよい。口笛を吹いてもいい。拍子にぴったり合った、ルンルンの快適な推進力を感じるかもしれない。おそらくはシューマンが打ち消したかったのは、この推進力だったに違いない。なぜなら彼が望んだのは、内にこもる「沈潜」であり、そこで見る夢はよどんでいるはずだからである。

そこでシンコペーション大好きなシューマンの志向がはたらく。1拍ずらすことで、弱拍が強調され、小節線をぼかしてしまう。こうしてきわめてシューマン的な音楽ができあがる。

小節線で区切られるのは、いわば管理された時間である。しかしわれわれは内なる時間も生きている。「トロイメライ」が呼吸しているのは、わたしだけの時間なのである。

まとめてみよう。「トロイメライ」のきわだったシンプルさを生かしつつ、音楽を芸術化するシューマンの方法論とは、1)調の揺れによる色彩の変化、2)ポリフォニーによる「深み」の付与、3)拍子感覚をぼかした「内面化」にあった。シューマンが見ていたのは「色とりどり」に「絡み合い」、内奥で「よどむ」夢だったのだろう。