その日はいつか来る―謎解き シューマン「くるみの木」

この前、ひょんなことで、たまたま楽譜を見ていたら、おもしろかった。曲が「わかった」気がした。書いてみよう。シューマン歌曲『ミルテの花』第3曲「くるみの木」である。

クルミが見る夢

家の前に 一本のくるみの木が茂る
甘い香りを放ち さわやかに
あおあおと葉をひらいている

ユリウス・モーゼン(1803-67年)の詩はこのように始まる。絶え間ないアルペジオが八分の六拍子に波打つ。ハーモニーは刻々と変化し、長調と短調の間を明滅する(和声分析には格好の教材だろう)。

冒頭、ピアノに出た旋律が、何度も現れる。歌へのリスポンス、あるいは相づちを打つように、である。歌のパートには、当然、歌詞があるが、「相づち」には、これまた当然、歌詞はない。ひょっとしたら、くるみの木に咲く花たちの囁きなのかもしれない。

歌の旋律は歌詞とともに変化する。だがピアノのリスポンスは、1カ所を除いて、5度枠の音程が変化しない。こうして歌とそれに応えるピアノの対話の中で音楽は進む。

たくさんの愛らしい花が咲き
おだやかな そよ風が
やさしく花々を揺りうごかす

花々は対になって 囁き合う
頭をかしげ 身をかがめる
優雅に やさしくキスするために

何ともシューマネスクな音楽ではないか。それにしても、花たちは何を囁くのか。

何かがうごめく

しかし「くるみの木」でもっとも琴線に触れるのは、次の部分だろう。ピアノのリスポンスの音程が、唯一、憂鬱に変化し、こう歌われる。

花は囁き合う ある乙女のことを
彼女は考えるている 夜も 昼もずっと
でも ああ 自分でも何を考えているかかわからない

ざわざわしていたのはくるみの木の葉だけではなかった。少女の心もざわめいていたのである。くるみの木はそれを感じとった。シューマンは曲中ここだけのハーモニー法を用いた。譜例を見ていただきたい。下に記した最初の小節の二つの和音の組み合わせが、そのまま音程を2度下にスライドさせる和声法である。いわゆるゼクエンツ[独: Sequenz]である。

ゼクエンツは古典的な和声法であるカデンツに対して、バロック期の代表的な和声法でもある。たとえばバッハのインヴェンションでも何でもいい、曲が始まってすぐ繋ぎの部分に入ると、ゼクエンツが始まる。和音の組み合わせとスライドさせる音程は自由である。バッハだけではない。バロックの基本様式なのである。あるモティーフが始まると、ゼクエンツによって紡ぎ出され(だから「紡ぎ出し Fortspinnung」ということがある)、フレーズはカデンツで終止・完結する。

ゼクエンツは、カデンツ(独: Kadenz「終止形」の意味)のように、音楽をさまざまなレヴェルで文節化するのではない。連続、流動化させるのである。

だから「乙女は夜も昼も考えている」のところで音楽が動き出す。まるで理性や意志から解き放たれて、心が無意識に独り歩きするように。

譜例を見ていただきたい。ゼクエンツは基本的に反復だから、その前後でピアノの右手は2小節の基本的なフレーズを3回反復している(譜例 青)。ところが歌のパートは1小節単位で、ずれて動いている(譜例 赤)。はやる気持ちそのままのようにである。

規則的な時の流れの中で、不規則にうごめくものがある。揺れ動く乙女の心の鼓動だろう。

彼女を衝き動かしていたのは

乙女の心をときめかせていたものは何だったのか。自分でもわからない鼓動とは。

花はささやき うたいつづける でも誰が気がつくだろう
こんなかすかな 囁きを
花が囁いているのは花婿のこと 来年のこと

彼女の存在を揺り動かしていたのは、生命の息吹だったのだろう。性の目覚めであり、愛の訪れへのほのかな期待であり、懊悩だったのだろう。乙女はそのために生まれてきたのかもしれない。彼女は自分を衝き動かしているものが何なのかわからない。自分が待っていることさえ知らない。ただ得体の知れない何かに翻弄されているのである。

だがくるみの木は知っている。乙女がひそやかに待っているのは「花婿のこと」そして「来年のこと」だと。あのピアノのリスポンス、これまでずっと無言だった旋律に初めて言葉がつく。シューマンはそこに「ピアノ、リタルダンド(だんだん緩めて)」と指示した。

これは最初からくるみの木が知っていたことだったのかもしれない。ただ最後に初めて口にしたのである。花は「(花婿が来るのは)来年だよnächstem Jahr」と誰にも聞こえない声で囁く。そして最後のスタンザ。

乙女は耳をそばだてる 木は風にさざめく
うっとりとして 微笑んだまま
乙女はまどろみに 夢へと落ちていく

その日はいつか来る

「来年」というのはくるみの木の感覚なのかもしれない。春は花開く季節であるから。それは恋の季節でもある。だからこういっていいのかもしれない。「その日はいつか来る」。

待つ人にさいわいあれ。待っていれば、愛は必ず訪れるだろうからである。