シューマンの懐深い世界へ―『ミルテの花』より「献呈」

古典的な3度転調は、短調から♭方向の長調へ移るというものだった(イ短調からヘ長調とか)。短調から長調の「暗から明」と、♭方向の「柔らかさ」が特徴だった。しかも調号1つの範囲内の近親調で転調できるのが、古典的でもある。

しかしやがて長調から長調への3度転調が主流を占めるようになる。これは♭が4つ増える転調であり(ハ長調から変イ長調など)、遠隔調へ調が移ることになる。ハイドンやモーツァルトも好んだのだが、やはりより時代が進んだロマン派が愛した転調といえるだろう。典型的なシューマンの例を見てみよう。

シューマンの歌曲集『ミルテの花』作品25は、1840年、クララとの結婚の前夜、花嫁に捧げられた。第1曲「献呈」は、長い苦難の末にようやく結婚に辿り着けたシューマンの、心のほとばしりのようだ。「きみはぼくの魂 Du meine Seele」ではじまるリュッケルトの詩は、まさに言葉がはじける。きみはぼくの「心」「よろこび」「苦しみ」……。シューマンはリュッケルトの詩に、そして何よりもみずからの心に敏感に反応している。

きみはぼくの「苦しみ Schmerz」のところで、音楽はマイナーに傾き、魂の痛みに触れる。ぼくの悩みを永遠に葬る「墓 Grab」で、減七の和音の陰の濃い響きとなり、詩への理解も示しもする。以上、譜例 青、コード・ネイムも記す。

しかしシューマンの心のほとばしりは、何よりも冒頭に明らかである。ピアノの前奏は1小節しかなく、すぐに歌が飛び出す。音楽は2小節でひとまとまりとなる。だから前奏は2小節置いて、それから歌を始めるのが常套的な、普通の作曲法である。たとえばこんな感じである。

1947年のシューマンの伝記映画『愛の調べ』の一場面である。「献呈」のピアノ版といえようが、原曲の落ちつかない前奏は、きわめて模範的なイントロに置き換えられている。2小節版がいかにお行儀がいいか、1小節版がいかに突飛かが、よくわかる。ちなみに「献呈」のリスト編曲版はシューマンの1小節にさらに2小節加えている。1小節では性急すぎるし、2小節じゃああまりに教科書的だと感じたのか、不思議な3小節のイントロとなっている。

いずれにしても、シューマンは前奏の2小節を待てなかった。音楽の普通のスタート・ラインを飛び出してしまったのだが、それを促したのは溢れる感情の真実性だったろう。まさに有頂天の音楽がそこにある。

しかし、思いをぶちまけたところで、理性をとり戻すかに見える。リュッケルトの詩の後半は、単語の羅列ではなく、ちゃんとした「文章」になる。「きみは静けさであり、きみは安らぎだ Du bist die Ruh’, du bist der Frieden」という。音楽はここでディクレシェンドし、リタルダンドして、一挙に3度転調を果たす。変イ長調からホ長調へ、すとんと「落ちる」のである。

♭4つから♯4つへのわけのわからない?突然の転換だが、若干の説明が必要だろう。「変イ」長調から「ホ」長調というと、減4度下ということになる。ではこれは4度下への転調か? そうではない。シューマンはこの「ホE」を=「変へ Fes」として考えている。鍵盤上でEの白鍵は、Fを半音下げた音と一致する。つまり異名同音であり、ホ長調はエンハーモニック的に変ヘ長調とみなしうる。そして変イ長調と変ヘ長調の関係が長3度下となるのである。

「3度転調はフラットが4つ増える」と書いた。♭4つの変イ長調にさらにフラットが4つ増えると、全部で8つになる。だが♭8つの変ヘ長調は、理論上はともかく、実践的ではない。だからこそエンハーモニックでホ長調としたのである。

それにしても「きみは静けさ・安らぎ」という詩に何とぴったりと合う転調だろう。ここでより懐深い世界が開かれる。いっそう親密で内面的な世界といえばいいか。曲の冒頭での歌い出しのフライングは溢れる感情によってせき立てられていたが、ここではみずからの心の中を眺めやり、何が起きたかをしみじみと確認するようだ。そこで感情の湧出は祈りへと昇華される。

とはいえ、冒頭でのあの感情の爆発は完全に鎮火されたわけではない。ピアノの右手の揺れる三連符がその余韻を伝えているのである。心の炎は静かに、しかし確実に、燃え続けている。

3度転調は内省的な地平を開く。正確にいえば、長調から長調への長3度下の転調であり、「内面化」を志向するロマン派の重要な語法となるのはいうまでもない。