主人公になりきって―『エリーゼのために』音楽的・文学的アナリーゼ

『エリーゼのために』はベートーヴェンの死後40年後の1867年に発見され、出版された。作者がみずから作品番号を与えなかった作品として「バガテル イ短調WoO 59」と呼ばれることもある。

しかし『エリーゼのために』はベートーヴェン最大の人気曲のひとつであることは間違いない。ピアノ学習者なら必ず通る道である。こんな話を聞いたこともある。幼い時に叶えられなかったが、定年退職後にやっとピアノを習うことができた人がいたという。彼の夢は『エリーゼのために』を弾くことだった。

『エリーゼのために Für Elise』というタイトルについては通説がある。本来は「テレーゼのために Für Therese」だったのだが、ベートーヴェンの悪筆により Elise と読まれ、それが流布してしまったというのである。だが2010年に新説が現れたのは記憶に新しい。エリーゼの正体は作者と親交があった歌手エリザベート・レッケル(通称エリーゼ)ではないかというのである。ベートーヴェンの悪筆のせいで?伝記に何人も出てくるテレーゼと安易に結びつけられてしまった。またその4年後には13歳のエリーゼ・バレンスフェルドがその人ではないかという説も出た。だが確証はない。

確かなのは『エリーゼのために』がある女性に捧げられたということである。

『エリーゼのために』はどんな風に書かれてる?

『エリーゼのために』の楽譜を見てみよう。音の高さや長さがどうのといった以前に、譜面は多くのことを語っている。ここで参照するのは一般向けの実用譜ではなく、いわゆる原典版に近い楽譜である。

譜例は旧全集のBreitkopf & Häel 版(1888)をもとに、初版譜、ウィーン原典版を参考にした。

楽譜のいわば表面から見えることを確認しておこう。

1.「少し動いて Poco moto」
「ポコ・モート」はアンダンテやアレグロといった通常の速度指示ではない。テンポについての厳密性への作者のこだわりは感じられない。メトロノーム数値もなく、規定性のゆるい指示であり、「動き」=ある程度の「活発さ」をともなう普通の速さを示すと考えられる。少なくとも「引きずるような遅さ」ではない(そういう演奏もあるが)。

2.八分の三拍子
拍子は八分の三拍子と記されている。しかし、譜面づらは、明らかに、十六分音符の六拍子のようである。3/8は八分音符2+2+2の三拍子だが、6/16は十六分音符3+3の二拍子である。ただし記譜上の曖昧さは、譜例赤のところで「2」の単位が混入することで、拍子の「混乱」「面白さ」を生む伏線ともなっている。そもそも『エリーゼのために』では、2と3の交差、あるいは戯れが音楽的面白さのひとつの戦略なのだった。それは冒頭からすでに明らかである。

単位としての2の不規則性から3の規則性が回復する面白さである。ということは規則的なのは、つまり基本となるのは3、すなわち二拍子の方にあるということになる。だからこそ十六分の六拍子の書き方が想定されるのである*。

*ちなみに挿入されるエピソードはともに三拍子である。だから冒頭に八分の三拍子と記されたともいえるだろう。しかし完璧に正確を期すなら、部分ごとに拍子記号を書き換えるべきだっただろう。

そして3+3という、一拍を3で割る不安定なリズム法は「動き」を秘めており「ポコ・モート」という指示と一致している。

3.単純な反復
前半と後半を1番括弧と2番括弧を変えただけの機械的ともいえる反復が目につく。再帰する時はリピートははずされる。

4.裸の音符
譜面を一瞥して感じるのは、表情や演奏上の指示がほとんどなく、音符たちは「裸」で投げ出されていることである。アーティキュレーションやダイナミックスの記号はいっさいない。優美なスラーもテンポのニュアンスもない*。

*1カ所だけ第12ー13小節にかけて、ト音記号になった左手の小節線をはさんだE-Eのオクターヴにスラーがかかっている。これはおそらくはこの部分での音の繋がりを示すと思われる。同じ音型でのほかの箇所でいっさい見られないことからから、アーティキュレーションの指示とはみなしにくい。

まるで周到な吟味を欠いた完成前の譜面のようだ。これは一般に流布している普及版では決してわからない。例えば下の例。

Masterpieces of Piano Music (pp.48-50). New York: Albert E. Wier, 1918.

このようなスラーや<>をベートーヴェンは書き込んでいない。ただし原典版を「音楽」にするにはこうした指示は不可欠で、普及版・実用譜を「悪」と決めつけることはできない。それどころか大いに参考にすべきだろう。

ざっと譜面づらを見たところの印象は、なおざりとまではいわないが、入念な推敲を経ていないようだ。『エリーゼのために』の創作にはいくつかの段階があり、一気に書き上げたのではないことがわかっている。それでも、譜面から見る限り、作者の強い思い入れはあまり感じられない。

だからといって、曲に魅力がないことにはならない。

エリーゼはどんな女性?

もうちょっと楽譜に踏み込んでみよう。曲の性格にとって最重要なのは調性である。『エリーゼのために』はイ短調。短調であることの属性はどう感じられるか.一般的には「暗い」「悲しい」といわれる。だがそう単純ではない。われわれは明暗といった二元論でとらえがちであるとしても。

調性とともに音楽の性格を決定するのはテンポである。『エリーゼのために』では停滞するような遅いテンポは指示されていなかった。ということは「暗さ」の深刻度は明らかに低い。落ち込むような性格ではありえないのである。短調であるとしても、ポコ・モートと矛盾しない性格が想定される。

冒頭、ためらうような半音の微妙な動きから始まるものの、旋律線は分散和音そのまま。もっと見ていくと、和音は基本形だけで、初歩的ともいえるハーモニー進行である。転回形にすることで滑らかになるが、基本形では和音の連結は硬い。

和音の種類はトニックTとドミナントDだけで(a: Ⅰ→Ⅴ→Ⅰ)、サブドミナントSを欠いている。調性音楽では基本的にTとDは二つの極をなし、S和音はどちらにも属さないニュアンス、色彩、不安定の和音といえる。『エリーゼ』もそうした要素を欠くことになる。

ということは、エリーゼにこだわるなら、彼女は人生の機微を知り尽くした女性というよりは、単純で素朴な、それゆえ清純な少女のイメージに近い。マイナーの「暗さ」は「おとなしい」「もの静かな」「真面目な」「真剣な」「控え目な」といった性格にも読みとれる。おどろおどろしい妖艶さからは無限に遠い。

しかし氷のように冷たい清純さではない。彼女の心のバリアーが、一瞬、弛み、微笑みを浮かべるような瞬間がある。ハ長調へ揺れる部分である(第9小節)。

ふいにド・ミ・ソが鳴り響き、次にソ・シ・レから(偽終止で)あっという間にラ・ド・ミに戻る。だから瞬時なのである。そして、だからこそ秘めた真実味をにじませる。以上の書法も初歩的だが、効果的である。

総合的な絵から、エリーゼの姿が浮かび上がってくる。演奏するにあたって、そのイメージを想像することは不可欠だろう。なぜなら、エリーゼの性格は音楽の性格だからである。

ハ長調に触れる上の部分など、何も感じることなく弾くなど考えられない。もしも臆病だった心を開く瞬間を経験したことがあるなら、「わかる」はずである。共感できるはずである。ただ機械的に鍵盤を叩くなどありえないだろう。ただしその表現法は演奏者の数だけある。

案外『エリーゼのために』は難しい?

スラーも何もない音符をそのまま弾くのが「正しい演奏」なのではない。スラーもスタッカートも指示されていない音符はノン・レガートで弾くという記述が同時代の理論書にある。ヴァイオリン奏法でいえば、音ごとに弓を返すデタッシュである。しかし『エリーゼのために』をそんな切れ切れの音で演奏するなどありえない。事実、初版譜でも指示されているペダル記号がレガートの意味ともとれる。

First edition, 1867

だから実用譜の重要さが浮かび上がってくるわけだが、ベートーヴェン自身の作品の中にも参考になる例がある。ピアノ・ソナタニ短調作品31-2「テンペスト」第3楽章である(譜例下)。実際、譜面上よく似ている。

両者を比べると、『エリーゼのために』の楽譜がややぞんざいな印象を受ける理由が見えるだろう。

『テンペスト』の右手にはスラーがかけられ、レガートとフレーズとしてのまとまりを示している。フレーズの最後の音の処理「・」も示されている。左手には小節の頭の音が強調され(下向きの譜尾を重複)、属音Aはタイで引き延ばされている。後者はペダルの効果を、ペダル記号ではなく、記譜で示しており、そうすることで、たっぷりした響きに埋まることのない身軽なハーモニーと動きを意図したのだろう。入念に推敲され、仕上げられた感がある。

『テンペスト』も八分の三拍子で書かれている。しかし『テンペスト』の三拍子、つまり2+2+2の譜割は明白である。左手は明確に2+2の4つの十六分音符を刻み、安定した三拍子の流れをつくる。右手は確実に二拍目の裏から出る構造になっているのである。

いずれにしても、『テンペスト』の例は『エリーゼ』演奏上の示唆を含んでいる。

実際の演奏では、譜例上のように、ペダルの指示から1小節丸ごとスラーをかけてしまうようになりかねない。しかし『テンペスト』を見ればわかるように、旋律は右手にある。休符をはさんだメロディであり、譜例下のようにフレージングできるだろう。左手と右手の分散和音が呼応し合っており、そこが面白さではあるが、伴奏と旋律は別である。左手と右手を一続きにすべきではない。

そもそも左手のアルペジオの3音はそれぞれ均質・均等ではない。最初の音はいわゆるバスであり、ハーモニーの基盤となる。しかも小節の頭に置かれ、拍子を明確にする。だから『テンペスト』では特に強調されていたのである。つまり、より深い、存在感のある音が必要となり、譜例下ではそれをテヌート記号と赤丸で示した。

一方、右手の旋律は4音がひとつのフレーズをなしている。音楽言語の基本として、フレーズの最後の音は力を抜いたように消え入るのが自然である(譜例 青丸)。『テンペスト』の「・」もそのように解釈すべきであり、アクセントなどをつけてはならないことは明白である。

だとしたら、ここでちょっとした問題が起きる。譜例から一目瞭然だが、青丸の軽い音と赤丸の重い音が小節の頭で一致する。右手は力を抜き、左手はしっかりした音が必要となる。ニュアンスの違う音を両手で同時に弾き分けなければならない。『エリーゼのために』は、案外、難しいのである。

エリーゼの喜怒哀楽

『エリーゼのために』はABACAの形式で書かれている。楽式ではいわゆるロンド形式にカテゴライズされ、それで「はい、おしまい」ということになる。多くのアナリーゼがこういう「分類」に終始していることは否定できないだろう。「意味」にまで踏み込まず、それゆえ「だから何だ?」ということになってしまう。

そこで形式の意味を考えてみよう。実は、これまでABACAのAから「エリーゼの性格」を探ってきたのだが、別の部分が加わることで、エリーゼの全体像が浮かび上がるかもしれない。いわば時間の広がりの中で、生きた「人間」があぶり出されるのである。

Aに続いて、2番括弧から、音楽はヘ長調へと一挙に転換する。Bである。

Bでヘ長調が選ばれた理由は純音楽的に説明できる。Aのイ短調に対して一番近い長調はハ長調である。だが、すでに見たように、Aの内部でもハ長調をかすめていた。だからフラットひとつ分遠いヘ長調が選ばれたのである。こうしてイ短調からヘ長調への転調となるが、これこそ古典派から初期ロマン派音楽の要所で用いられた3度転調である。作曲家がここぞというところで投入する転調である。

音楽はBで3度下の長調にストンと落ちて、右手の旋律はのびやかに歌う。そこから♭が無効化され、ハ長調へ向かう。そして三十二分音符の細かいリズムの中で音楽がいっそう生き生きと弾む。基本的に♭方向の転調は「弛緩」、♯方向は「緊張」をもたらす。だからイ短調からヘ長調の3度転調は暗→明の転換に加えて弛緩、柔らかさをともない、心の窓を開くような効果をもたらす。そこからハ長調への♯方向への転調は緊張を呼び起こし、外へ向かうように息づく。つまり単純な転調だが、音楽の動きと完全に一致しているのである。

Aの部分から「おとなしい」「真剣な」「控え目な」といった性格がにじみ出ていたエリーゼだった。しかしBで彼女は心を開き、晴朗で、うきうきした姿を垣間見せる。

しかしそれも長くは続かない。再びイ短調のAに戻り、さらにCの部分に進む。

音楽はニ短調への方向が示される。固執されるバスともっとも暗い減七の響きが、心を閉ざして思いつめたエリーゼを想い起こさせる。譜例後半の右手の6度の進行も特徴的である。3度の響きは甘美だが、6度は影がさす。その味わいも見逃すべきではない。一般的に6度は詠嘆調の嘆き節的な表情となる。

続く部分で音楽はふと雰囲気を変える。バスが変ロに動くところである(譜例 赤)。

これまで「音楽」のありようについて、言葉を費やしてきた。しかし言葉による形容はあくまでも示唆にすぎず、もともと不可能である。だから特にオルゲルプンクトのバスがAから半音上のBに移り、長三和音が響くのをどう感じるか、弾く人に、聴く人に感じとってもらうしかない。わたしなら、一心を見つめていたエリーゼがふと自分に目覚めた瞬間とでもいおうか。しかし感じ方、それを表現する方法は人それぞれである。これが古典音楽の神髄ともいえよう。何も感じないなら、どうしようもないが。

音楽はイ短調に戻り、夢のようなアルペジオの響きからAに戻る。

エリーゼの肖像画

要するに、形式ABACAはエリーゼの生きた感情の広がりを描いていた、こう考えたらどうだろう。Aという性格をもとに、緊張がほぐれ、晴れやかなB、そして思いつめた、やや深刻なC、これらの全体がまさにエリーゼなのである。だからこそ、そこに統一がある。

潜在力としてのわたしがあるとする。しかしポテンシャルだけではまだわたしではない。わたしが感じたものを表現して、顕在化されたわたしが「わたし」なのだろう。『エリーゼのために』が映し出すのはそうしたエリーゼの姿なのである。

そのとらえ方はとらえようとする人の数だけ存在する。そこに音楽のおもしろさがある。あなたもあなただけのエリーゼの肖像を描いてみませんか。