歌の源泉としての「子守歌」―ブラームスにとっての「芸術」
ある時、ヨハン・シュトラウスⅡ世の娘アリーチェが、ブラームスにサインを求めたことがあったという。彼は快く応えたようだ。そしてサインに添えて「美しきドナウ」の数小節を書き、「残念、わが作にあらず」と記したとか。ブラームスはシュトラウスの音楽を愛していたらしい。
しかし伝記から浮かび上がってくるブラームスの性格というと「不器用」「無骨」「皮肉屋」「毒舌家」……。だから「これも悪い冗談じゃないか。だってワルツ王の軽妙洒脱な音楽と、北ドイツ生まれのブラームスの重厚・晦渋な音楽では、作風が違いすぎるだろう」などといわれる。
でも敢えていいたい。あれは本音だったんじゃないか。彼の音楽、たとえば後年の2曲の弦楽五重奏曲など典型的だが、いかにもウィーン風の頁があちこちにある。ただしあくまでも「ブラームス流儀の」だが。それにブラームスには三拍子が多い。『愛の歌』作品52、『新しい愛の歌』65というワルツ集もある。文字どおり「ブラームスの円舞曲(ワルツ)」というのもある。また第1楽章だけをとっても、交響曲2番、ヴァイオリン協奏曲、2曲の弦楽六重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第2番等々……。これらの作品はブラームス的旋律の魅力溢れる作品でもある。
いくつか作品番号順に行こうか。たとえば弦楽六重奏曲第1番第1楽章の第2主題はこんな旋律である。
これは提示部で、再現部ではまずヴィオラで出る。
「ブラームスの円舞曲」は作品番号39の第15曲、連弾曲である。一度は聴いたことがあるはず。
そして、これも有名だろう。交響曲第2番第1楽章の第2主題である。
引用したのはチェロのパートだが、これにヴィオラが絡みつく。
さて、ここまで来ると、これらの旋律がどこか似ていることに気づかないだろうか。さらに晩年のピアノ曲も加えておこう。作品118の第2曲イ長調「間奏曲」である。
どの旋律も心に沁みる。そういった音楽の性格もさることながら、短いフレーズをたたみかけるような構造が共通している。すべて四分三拍子だが、ワルツの、あの息の長いフレーズで流れるような、洗練された音楽とは違う。ワルツの前身であり、「田舎風の踊り」といわれることもあるレントラーに近い。鄙びた飾らない踊りの音楽から、ブラームスは旋律を掘り起こし、真情を込めた歌へと磨き上げた。
だからやはり三拍子が好きだったんだろう。ただし都会風のシュトラウスとはちょっと違う音楽だが。でもそこがブラームスであるゆえん。
それにしても、どれもよく似たレントラー風の旋律は、またもうひとつの決定的な曲を想い起こさせる。これぞブラームスでもっとも有名な音楽だろう。
いうまでもなく「ブラームスの子守歌」である。『5つの歌曲』作品49の第4曲 “Wiegenlied"。
これらのすべての旋律はブラームスの中にある共通の根から出ているように思われる。そしてとりわけ「子守歌」がもっとも深い源泉であるように思われる。それだけシンプルで、虚飾がなく、ピュアだから。
ある時、ブラームスは、作品117の『3つの間奏曲』について「わたしの苦悩の子守歌たち」と呼んだという。そうだ「子守歌」こそは、ブラームスのインスピレーションの最深部にあった泉なのかもしれない。そこから彼は音楽を汲み上げていたのかもしれない。この子守歌は子供を眠りに就かせる音楽であるだけではない。現実に、生に苦悩する人間を癒やしの睡眠へいざなうものでもあったのだろう。それがブラームスにとっての「芸術」だったのかもしれない。