旋律創作の裏を覗く―ブラームス 交響曲第3番第3楽章

メロディーは天からの贈り物である。間違いない。でも「降りてきた」モティーフから大きな旋律をつくりあげる作業はどうなのか。ただただインスピレーションの訪れを待つのか。

ブラームスの場合を見てみよう。たとえば交響曲第3番の第3楽章「ポコ・アレグレット」のあの名旋律。ブラームス的哀愁を湛えたメロディーだが、最初の幸福なインスピレーションは、譜例上のようなモティーフではなかったかと思う。

拍子にぴったりと合っており、何の抵抗感もなく、まさに自然発生的だからである。少なくとも、わたしなら間違いなくこの形で思い浮かぶと思う。

ところが「あれ、違うんだ」という思いが、名工の作曲法への探訪を促すことになる。で、ブラームスはどうしたのか? まず彼は小節の頭のEsを1拍引き延ばしたのである。この作業は意識的だったと思う。なぜなら、この工夫こそが、ブラームス的なものを生み出すためのきわめて重要な一歩となっているからである。

それは、下の決定稿と比較すればよくわかる。上の譜例のモティーフを2回反復すると、独立した二つのフレーズが並列され、完全な三拍子となる。ところがEsが1拍延びて、付点リズムが次の小節に押し出されると、拍が縮まった分、次のフレーズにすぐに繋がる。いくぶんぎくしゃくした拍子感の面白さに、教科書的な1・2・3はゆるめられる。

しかしブラームスの真骨頂は次のポイントだろう。譜例下に青で示した旋律の構成要素を見てみよう。明らかにだんだん縮小され、旋律の山を越えて、終止に向かい、またやや拡大されている。

これはいうまでもなく、旋律内部で加速と減速をもたらし、緊張と弛緩を呼び起こしているのである。一言でいえば、旋律に生気を吹き込んでいるのである。この縮小・加速の効果をもたらすために、あの1拍の引き延ばしが決定的な意味をもつ。

ブラームスにとって「降りてきた」原石を宝石に磨き上げる作業とは、音楽に生命を付与することだった。しかし、この例は特別か? だったら、譜例下のヴァイオリン協奏曲第2楽章のオーボエを見てもいいだろう。ここでも同じ原理が確認できる(さらにいろいろなことがいえるが、今回は触れない)。

ブラームスの個人様式ともいえるこの仕掛け、あるいは裏技を彼はどこから学んだのか? わたしはモーツァルトからだと睨んでいるのだが。