ビートルズのクラシカルな要素―「エリナー・リグビー」のクオドリベット

ベートーヴェンの『第九』フィナーレ。「歓喜の歌」が叫ばれた後、「抱き合え」の主題が謳い上げられる。そして次に二つの旋律が対位法的に組み合わせられる。平たくいえば、別々の旋律が同時に出てきて、音楽も歌詞も総合され、一大クライマックスを築くのである。

西洋音楽では似た例がたくさんある。バッハの音楽は基本的に異なる旋律が同時進行するスタイルではあるが、たとえば『ゴールドベルク変奏曲』の最終変奏。二つの民謡「キャベツとカブにはうんざり、家を出る」と「しばらく離れていたね、さあ戻っておいで」が組み合わされる(それで最初のアリアが戻ってくる)。

これは「クオドリベット」ともいい、西洋音楽の切り札的な部分で用いられる。

モーツァルトの弦楽四重奏ト長調K.387の第4楽章でも再現部では弟1主題と弟2主題が同時に出てくる。『ジュピター』のコーダでさまざまなモティーフが組み合わされるのは承知のとおり。ドビュッシーの『夜想曲』の「祭り」も思い浮かぶ。こういう「切り札」は最後の方に置かれるのが普通である。

なぜなら、音楽は時間芸術であり、時間の経過とともに音楽的密度が高まるべきであるという美学が、西洋音楽の根底にあるように思われるから。

 ところでこの西洋音楽の本質的なものが、ビートルズにもある気がする。たとえば1966年のアルバム『リヴォルヴァー』の中の1曲「エリナー・リグビー」。ご存知ドリア風のクラシカルな名曲だが、最後のところで、曲の中の二つの旋律を同時に出す(譜例上 ちなみに、蛇足だが、わたしなら下のようにしたかな……)。

これ、明らかに、ジョージ・マーティンの仕業?だろう。あまりにも西洋音楽的な発想だから。同じアルバムの「フォー・ノー・ワン」でも途中のホルンのソロが最後に歌とかぶって、対位法的に絡む。この時期は対位法的な書法が多いが、録音技術を多用した時代で、アレンジャーとしてもジョージ・マーティンの存在感が増したことの証明だろう。

いやまてよ、後期の「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」では、最初にポールがシャウトし、それからジョンが呟くように出る。そして最後に二人が同時に歌う。水と油のような二つの歌が同時進行するのである。ジョージ・マーティンのクラシカルな発想が、ついにビートルズに根づいたのだろうか。

なおクラシックでこのクオドリベット的な手法をもっとも好み、多用した作曲家はオネゲルかな。