音楽のアイディアにジャンルの壁はない1―キンクス、ビートルズ、ベートーヴェン

1964年といえば、ビートルズは世界ナンバー・ワンのバンドに登りつめている時期だった。そんなビートルズにも気になるバンドがあった。彼らが前座で登場すると、会場は異様に盛り上ったという。その名はキンクス*。

*The Kinks は、1964年、イギリスで、レイとデイヴのデイヴィス兄弟によって結成された。ロックの攻撃性に批判的精神とユーモアを備え、独自の存在感を示す。1993年のスタジオ・アルバム『フォビア』を最後に、バンドとしての活動は停滞するも、2005年にはイギリスの音楽殿堂入りを果たす。その後メンバーの死去等にともない、再結成は困難となった。

特に盛り上がる曲があったという。代表作「ユー・リアリー・ガット・ミー You Really Got Me」である。ビートルズがこの曲に注目し、多大な影響を受けたのは間違いない。伝記的記録は残っていないかもしれないが、音楽自体が雄弁にそれを物語っている。

小節線はどこ?

「ユー・リアリー・ガット・ミー」はこう始まる。

ギターの強烈なアタック音が鳴り響く。3度を欠いた5度の荒々しい響き、いわゆるパワー・コードという奏法であり、後にパンクやヘヴィ・メタルの強力な武器となる。しかし、ここで問題なのは、響きではない。上の楽譜のようには決して聞こえないのが問題なのある。誰が聴いても、譜例下の[ ]のように耳に飛び込んでくる。小節線の位置に注目である。最初の音は小節線の前に出た、いわゆるアウフタクトには絶対に聞こえないのである。

なぜなら最初の音はどうしても「表」として聞いてしまうからである。「裏」あるいは「弱拍」「アップビート」として認知されるには、「表」となる基本的な拍を打つ必要がある。それによって始めてずれているのがわかるのである。

小節線という座標軸が感じられないと、強拍(ダウンビート)か強拍(アップビート)かわからない。「ユー・リアリー・ガット・ミー」の場合、2小節目の第4拍にドラムのスネアが入る。すると、ギターの最初の八分音符はどうも拍の裏、つまりオフビートだったことがわかる*。しかし小節の前に飛び出したアウフタクトかどうかはまだわからない。

*ダウンビート downbeat とアップビート upbeat は指揮者の腕の振り下ろし・振り上げに由来し、小節内の強拍、弱拍を意味する。それに対し、オフビート offbeat は拍の裏を表す。つまり4拍子の基本的なオンビート onbeat の4拍があるとしたら、それぞれの拍の裏を打つシンコペートするリズムがオフビートである。

拍節構造がはっきりするのは、小節の頭からきっちり出るヴォーカルのパートが入ってからである。ドラムスも四拍子をキープし始める。しかしやはり曖昧さが残る。拍子感は麻痺したままである。最初のギターの入りがあまりにも強烈だからである。ようやくはっきりするのは、ヴァースの最後の締めの部分だろう。“You really got me” が連呼される。

音楽が縦にぴったり一致するのである。これまでの時間感覚の曖昧さは消え、ユー・リアリー・ガット・ミー(「おまえにメロメロ 」といったところか)という現実に目覚めるかのように。

拍は小節線の位置によって相対的である。「ユー・リアリー・ガット・ミー」におけるこのアイディア、面白さを、ポール・マッカートニーはただちに看取したようだ。

ビートルズの応用版「シーズ・ア・ウーマン」

「ユー・リアリー・ガット・ミー」は1964月8月にシングルでリリースされ、全米1位に輝いた。そして同年11月にビートルズの第6シングル「アイ・フィール・ファイン」が発売された。B面はポール・マッカートニー作曲の「シーズ・ア・ウーマン She’s A Woman」。明らかに「ユー・リアリー・ガット・ミー」の応用版だったといっていい。

ちなみにすべてのコードが7thなのは、第7音がブルー・ノート化するブルースの影響である(これは「ユー・リアリー・ガット・ミー」で、ト長調なのに、F♯がナチュラル化しているのと同じ)。最初の8小節はブルース形式の12小節の最後の4小節を2倍に拡大している。しかし重要なのはやはり拍子・リズムである。

冒頭に出るギターのカッティングは絶対に裏拍では聞こえない。3小節目の4拍目からベースが入って、始めて小節線の位置が明確になり、ギターの和音が裏打ちだったことがわかるのである。このアイディアが「ユー・リアリー・ガット・ミー」から来ていることは疑いを入れない。

ビートルズのヴァージョンはキンクスのアイディアがより整理されているともいえる。というのも、「ユー・リアリー・ガット・ミー」は弱拍の裏から出るのに対し、「シーズ・ア・ウーマン」はきっちり弱拍を打つからである。いわば前者は「裏の裏」、後者は「裏」ということになり、それだけに整理されているといえる。別のいい方をすれば、複雑さ、曖昧さが減退したともいえる。

「シーズ・ア・ウーマン」が「ユー・リアリー・ガット・ミー」のアイディアを借用したとしても、決して真似ではない。なぜなら基本は同じだが、それを意識化し、応用しているからである。ビートルズの音楽の進化の根底にあるのはこの意識化なのである。

歓喜の歌は歓呼とともに

似た例はクラシックにもある。すぐに思いつくのは、リズムの大天才ベートーヴェンである。それも何といってもあの交響曲第9番第4楽章の頁。

「歓喜の歌」が器楽で導入され、声楽で紹介される。ひとしきり盛り上がった後、沈黙が訪れる。すると彼方から軍楽隊の音が響く。トルコ行進曲の影響がよく指摘される「アラ・マルチア(行進曲風に)」の部分に入るのである。

ファゴットとコントラ・ファゴット、それに大太鼓によるこの最初の低音は決して裏拍には聞こえない。八分の六拍子は二拍子だから、二拍目の弱拍なのではあるが。最弱音であり、休符が入った最初の4小節は「まず何かが響いた」といった感じ。次に、次第に規則的なリズムの周期が聞こえる。何か運動性が感じられる。しかしまだ拍子感ははっきりしない。そしてそれこそがートーヴェンが望んだ効果だっただろう。

キンクスやビートルズがやったことも同じだっただろう。小節内の拍の表と裏を使い分け、拍子感を曖昧にするアイディに変わりはない。アラ・マルチアの冒頭部分など譜面上「シーズ・ア・ウーマン」とそっくりでさえある。

ベートーヴェンでは、歓喜の歌が木管で入ってくる小節で1拍目が打たれ(トライアングルとシンバルが加わる)、拍の強・弱が明示され、拍子感がはっきりする。これも「シーズ・ア・ウーマン」と同じである。しかしここからが違う。ビートルズではすぐに拍子の曖昧さは解消されてしまうのだが、ベートーヴェンではそうはならない。

歓喜の歌が変奏されているのは、当然、まだそのままでは出さないためだが、シンコペートするリズムは浮き立つような性格の表現でもあるだろう。しかし構成的な意味もある。ベートヴェンの楽譜では旋律に小節線をまたぐタイが拍子の曖昧さを残しているのである。これこそ正規の拍節構造からずらす典型的なシンコペーションの用法である。つまり安定した拍子の流れに対する「異物」として機能しているのである。

ベートヴェンはここから200小節あまりもシンコペーションの塊のようなスコアを書いた。そして、譜例下のところ、歓喜の歌が爆発する瞬間に「異物」を一気にはずすのである。歓喜の歌とともにあらゆるタイは消失する。その効果は圧倒的である。今までずっと音楽の流れに抗していた重石は振り払われ、歓喜の歌は歓呼とともに溢れ出す。

ポピュラーとクラシックで音楽のアイディアに境はない。違いがあるとしたら、ベートーヴェンのような構築性だろう。「ユー・リアリー・ガット・ミー」における拍子のずらしは、ある種の表現のために寄与しているかもれない。しかし、ベートーヴェンでは、長大な楽曲を構築する手段となったのである。