新全集の怪―モーツァルト 弦楽五重奏曲第5番ニ長調K.593

モーツァルトの弦楽五重奏曲では第4番ト短調K.516が圧倒的に有名だろう。しかし第5番も素晴らしい。練達しきった対位法によって声部が精妙に織り合わされ、しかも音楽はあくまでも嬉々として戯れるようだ。表現の幅も広い。モーツァルト全作品の中でも最高傑作のひとつではないかと思わせる。そのフィナーレは、現在は、下の譜例の右のように演奏される。実は、以前は、初版譜と同じ、左だったのだが、新モーツァルト全集の校訂者が、書き換えてましった。


理由はこうである。モーツァルトの自筆譜を調べたら、最初の稿が乱暴に消されていた。曲が出版されたのはモーツァルトの死後であり、明らかに作曲者以外の手で「改竄された」とみなされた。消された前の音符を辿ると、半音階のパッセージが現れた。下に問題部分を確認してみよう。そこで新全集では「オリジナル」が採用されることになった。「改竄」の理由は半音階の演奏が難しかったからだ、という推測も加えられた。校訂の前任者のシュミットは「旧」の版も補遺として残したが、後を継いだヘスはそれも削除した。新全集の絶大なる権威の元で、現在では半音階版で演奏される。


新全集での判断の根拠をあげたつもりだが、根底には「オリジナルが最優先」というバイアスが根底にあるのかもしれない。そこで思考は停止する。ところで作曲はインスピレーションの賜かもしれないが、いくつもの約束事もある。たとえば新版の小節線の頭のG♯はどう考えるべきか。ちなみに旧版のG♯はいわゆる倚音(いおん)であり、次のAに解決する非和声音である。しかし新版のG♯は倚音ではなく、経過音としか考えられないが、その場合、小節の頭(強拍)は和声音でなければならない。和声学でいう禁則にあたる。経過音と倚音のモーツァルトの用法の例はト短調弦楽五重奏曲冒頭でも確認できる(譜例 右下)。


古典派中の古典派のモーツァルトが、死の直前に、初心者のような作曲上の間違いをおかしたのだというということになるのか。

旧版のモティーフは、八分の六拍子でありながら三拍子のような多義性も秘めている。またあとで反行形(譜例左下 鏡で映したように音の上下をひっくり返した形)が出てきて、鮮やかに展開されたりもする。反行の作業は決して容易ではなく、一貫して音の間違いもなく遂行されているのは、モーツァルト自身が書いたとしか思えないようでもある。しかもこれらのモティーフが別のテーマと対位法的に絡み合う。旧版の音型がモティーフだとしたら、新版のはただのパッセージにすぎない。そこで音楽的実質は低下する。しかも下行したり上行したりして反復されるだけ。何でも「オリジナル」が重要だとして、音楽的な判断をしないのなら、せめて旧版(初版譜)も参考できるようんいすべきではないのか。

旧モーツァルト全集版

新モーツァルト全集版