悲劇の告知は勝利の雄叫びへ―マーラー 交響曲第1番フィナーレ1
以前、第1楽章の序奏について書いた。まるで意識の薄明から霧が徐々に晴れるような開始だった。外界の響きも聞こえてくる。わたしの中にも憧れや、不安がよぎる。そして、カッコウの声に後押しされるように、ついに起き上がる……。あの主人公はどうなったのだろう。
マーラーの交響曲第1番の長大なフィナーレは、全体の結論ともいえる。第2楽章の勇壮なスケルツォ、第3楽章の荘重な葬送行進曲風の歩みは、フィナーレでどこへ向かうのか。まずは全体をとらえてみよう。
冒頭の衝撃的な打撃音の後、トランペットとトロンボーンが、高らかに、悲劇の幕開けを告げる。ちなみに譜例は実音である。
この3音は何調かはっきりしない。ハ短調風でもあるのだが、第6音A♭は下に落ち着く志向があるため、Cへの長3度上の進行は、何か無理強いされたものを感じる。トランペットはいうまでもなくファンファーレの楽器であり、トロンボーンが強力にサポトートする。この後、音楽は激しい流れに飲み込まれ、泥沼の様相を呈する。
しかしやがて嵐は遠ざかり、静けさが訪れる。マーラー的というしかない極端な落差については、いずれ意味を問わなければならない。ヴァイオリンが息の長いメロディをたゆとうように優美に歌う。だがそれも長くは続かない.不穏な雰囲気が漂い始め、また「あいつ」が来る。今度はト短調っぽい。
音楽は再び濁流に呑まれる。しかし今回はちょっと違うようだ.長調の明るい響きがちらちらと見え隠れし、やがて壮大な盛り上げを見せる。そしてついに勝利が訪れるかのよう。
調性は完全にハ長調。トランペット、トロンボーンにチューバが加わる。スコアで確認すると、こうなる。
しかしこれでおしまいではない。ファンファーレは曲の調性であるニ長調でもないし。マーラーは再び悪夢を呼び起こす。だがそれも最終的な大団円に向けての前置きにすぎなかった。ついに音楽は圧倒的な勝利を宣言するのである。これである。
勝利の雄叫びとともに、音楽は偉大なる勝利へ突き進む。いや~、血湧き、肉躍るところである。
つまり上の4つで示したファンファ-レは、曲の方向性を決める分岐点となる目印だった。音楽が向かうのは「悲劇」か「勝利」である。しかしマーラーはこれら真逆の方向に向かうファンファーレを同じ音型としたのだった。確かに1音の半音の違いで短調風と長調版を区別しているのは事実である。しかし厳粛な告知と喜ばしい宣言を変えてもよかったのではないか。暗黒と光へ向かうのがほとんど同じ通路だとは。
神のお告げ、神託は、悪い内容でも、いい知らせでも同じだということか。それとも、同一性はもっとも大きな差異の土台となる、ということか。あるいは単なる音楽の経済性の問題か。少なくともショスタコーヴィッチ交響曲第5番のフィナーレに決定的な影響を与えたのは確かだろう。
それにしてもマーラーにとっての「勝利」の意味とは何だったのだろう。(この稿続く)