彼岸からの祈り―一青窈「ハナミズキ」

出会いは車でFMを聴いていたときだった。何と美しい曲だろう。実は、英語ヴァージョンだった。

曲が終わってからのアナウンスに耳を傾けた。原曲は「ハナミズキ」という日本の歌のよう。あとになって一青窈が歌う元歌を聴いた。

「きみと好きな人が百年続きますように」というリフレインから、心寄せる人の幸せを願う歌かと思った。しかし、どうもそうじゃないようだ。

9.11の衝撃

「ハナミズキ」の詩はニューヨーク同時多発テロ事件にショックを受けて書かれたという。あの日のことは、わたしもよく憶えている。たまたま、早朝、目が覚めて、TVをつけて愕然とした。戦争が始まったかと思った。

一青窈は友人からのメールで知ったというが、かなり衝撃を受けたようだ。wikipediaに拠ると、最初、「挑戦的な詞」だったというが、その後、どんどん削られ、現在ある形になったという。事件は2001年で、発表はその3年後である。この情報を知って、曲の聴き方が一変した。

推敲の段階で言葉はそぎ落とされ、直接的な表現は抽象化され、象徴化されたようだ。たとえば五月に薄紅色の花が咲くハナミズキは、アメリカから日本へ贈られた樹ということで、アメリカを連想させる。その「つぼみ」とは、これから咲く「未来」の象徴だろう。

空を押し上げて 手を伸ばすきみ 五月のこと
どうか来てほしい 水際まで来てほしい
つぼみをあげよう 庭のハナミズキ
薄紅色の可愛い きみのね
果てない夢が  ちゃんと 終わりますように 
きみと好きな人が 百年続きますように

引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ

象徴的な解釈をさらに進め、出だしの「空」を「天国」ととるとしたら、二行目の「水際」とはあの世とこの世の境である「三途の川」ではないか。だとしたら「空を押し上げて、水際まで来てほしい」は「天国にいるわたしに思いめぐらしてほしい」といった意味にとれる。

決して水をわたってはいけない。こっちに来てはいけない。でも、せめて水際まで来て欲しい。だから、この歌の主人公はテロで亡くなった人(の魂)ということになるだろう。

平和のうちに全うされる生

夏は暑すぎて ぼくから気持ちは重すぎて
一緒にわたるには きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ

2番の歌詞が暗示しているのは、天国のわたしの思いの強さと、生きているあなたとは一緒にはなれない宿命だろう。あなたの住む現世と、わたしがいるあの世は隔てられている。

ひらり蝶々を 追いかけて 白い帆を揚げて
母の日になれば  ミズキの葉 贈って下さい
待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ
薄紅色の 可愛い きみのね
果てない夢が ちゃんと 終わりますように
きみと好きな人が 百年続きますように

引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ

3番の歌詞「ひらり蝶々を追いかけて」「白い帆を揚げて」「母の日になれば」云々は、この世の営みを表しているようだ。それに対して次の行「待たなくてもいいよ」云々は、こちらの(天国の)世界を気にかける必要はないというのである。

ぼくの我慢が いつか実を結び
果てない波が ちゃんと 止まりますように
きみと好きな人が 百年続きますように

引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ

あなたは亡くなったわたしのことでくよくよしてはいけない。自分の道を歩んでほしい。生きているあなたは死んだわたしのことで思い悩む必要はない。しかし、時々、空を見上げて、思い出してほしい……。

さらに9.11の悲劇から、心ならずも世を去らなければならなかった悔しさ、無念の思いがにじみ出る。その思いは「ぼくの我慢が~止まりますように」という祈念となって立ち昇る。

憎しみの連鎖が果てしない争いとなって押し寄せているこの世のありさま。その波が、いつか平和を映し出す静かな凪となって、消えてしまいますように。

そして、天国の主人公の願いは、とりわけ「きみと好きな人が百年続きますように」という思いに結晶する。わたしは心ならずも人生を断ち切られてしまった。しかしきみはみずからの生を全うしてほしい。人間にとっての「生」とは、好きな人「と」生きること、ともに在ること。そして「百年」(一生のシンボル的な年月)という与えられた時間を大切にすること。

生を全うすることなくあの世へ赴かなければならなかった魂が、現世の人間に対して「生きなさい」と歌うのが「ハナミズキ」なのだろう。そのためにも、平和を希求する思いがいっそう深まる。

地上と天国をつなぐ架け橋

ちなみに「ハナミズキ」のリリースは2004年だった。ところで、森山良子作詞、ビギン作曲の「涙そうそう」が発表されたのは、その2年前の2002年である。周知のように、「涙そうそう」は若くして逝去した兄に向けた祈りともいうべき音楽である。

つまりこの世からあの世を想う歌なのだが、「ハナミズキ」はその逆の図式となる。これは詩を推敲している間に、「涙そうそう」を知って、設定を裏返した可能性を示唆しているのか。少なくとも、何らかの影響があるのかもしれない。

似た設定では「千の風になって」があるが、この曲との関係も微妙である。曲の誕生は2001年ということだが、2006年の秋川雅史版による発表まで、紆余曲折があったようだ。「千の風になって」はまぎれもなくあの世からこの世への歌である。果たして「ハナミズキ」との関連はどうなのか。

確かなことは、音楽は地上と天国をつなぐ架け橋となるということだろう。