時はめぐる、時はすぎる―ビリー・ジョエル「イタリアン・レストランにて」における再現の新解釈

確かアルバム『ストレンジャー』のA面最後じゃなかったか。長い組曲風の「イタリアン・レストランにて」。ビートルズの『アビー・ロード』のB面に影響を受けたアーティストは多かっただろうが、ビリーもそうだったという。

この前、久しぶりに『ライヴ・アット・ヤンキー・スタジアム』を観て、新たな感慨に襲われた。クラシックにこじつけるわけではないが、「再現」の新しい解釈を観た(聴いた)ような気がした。

時の残酷な推移

二人は結婚まで踏み切れなかったのだろうか。だけど何でも話し合える友だちだった。きみが会いたいというなら、いつでも駆けつけた。例のイタリアン・レストラン。ワインは赤がいいかな、それとも白? ロゼだってある。

音楽はバラード風に始まる。それからテンポ・アップし、時間の経過を告げる。その後、ぼくは結婚した。新しい人生のスタートさ。新しいオフィスだってある。順風満帆。久しぶりの再会だね。きみはどう? ちょっとやせた?

音楽はますます活気づいて、思い出話から、高校時代の同級生のブレンダとエディーが話題に上る。まさかの二人のありえない結婚のなり行きについて。人生の頂点からどん底に至るクレイジーな顛末について。だからいわんこっちゃないだろ。音楽はさらに加速する。

その時、音楽はまるでグランド・フィナーレみたいにソロー・ダウンして「再現」に向かう。最初の部分が戻って来るのである。アルト・サックスがうなる。ワインは赤? でも何かが違う。

幸福が住んでいたあの場所はどこに?

クラシック音楽でいうソナタ形式の「再現」は高まった緊張の「解決」「鎮静化」の場所とされる。基本的にハッピー・エンドなのである。しかし「イタリアン・レストラン」では壮大な再現の後、音楽はあっけなく終わってしまう。何の解決もない。まるでかつて幸福が住んでいた宮殿が廃墟と化してしまったようだ。

一体どうしたんだ? イタリアン・レストランでのあの時は二度と帰ってこない。そのかけがいのなさに、あの時、気づかなかったとは。かつて友達として打ち解けていたきみとの関係の尊さが痛切に想い起こされたのか。もっと理性的な判断によって、新しい相手と結婚したんだったろうが。

今、再び、二人はイタリアン・レストランにいるのか。だがレストランはそのままかもしれないけど。二人の状況はまるで違う。「イタリアン・レストランにて」の再現は何の解決も与えてくれない。あっけなくも味気なく終わるのである。

それとも、ひょとしたら、ぼく一人で訪れたのか。だとしたら、なぜ来たのか。ただ空想の中で彼女と出会い、昔の思い出に耽りたかったのか。あれから時は流れた。

再現の壮大さは夢のようにも映る。夢の美しさは現実の残酷さの裏返しでもあろう。主人公の現在進行形の奥さんとの「今」はどうなのか。ブレンダとエディーみたいなバカな選択はしなかった。イタリアン・レストランの女友達である「きみ」との関係は捨てられた。それで今は幸せなのか? だったらなぜ「再現」したのか。さまざまな思いを引きずり、曲は終わる。

時計の針は逆には回らない

それにしても、バカな選択のどこが悪い。クレイジーにイタリアン・レストランで打ち興じたきみと結婚した方が良かったのかもしれない。いや、それもどうかわからない。本当にわからない。音楽はあくまでも「?」を深めて終わるのである。この?のうちに人生の機微が暗示されていないか。

かつての光景を想い起こすことはできる。しかしかつての心はない。時計の針は逆には回らない。たとえあの場所に戻っても、素晴らしいあの時はよみがえらない。なるほど、これは再現の新解釈かも。

過去の廃墟に何を求める。イタリアン・レストランを去る彼は、もはや振り返りはしなかっただろうと思うのだが、どうだろう。ある種の心の迷いから、「再現」を経て、現実に立ち戻ったかもしれない。だとしたら、人生の足どりはより確かだったのではないか。千鳥足だったとしても。