世界の愛に包まれた孤独―カーペンターズ「愛にさよならを」

かつて、もっとも広く、深く愛されたバンドがカーペンターズだった。カレンの歌声は世界を魅了し、あらゆる人々の心を癒やした。だがビートルズにとり憑かれたような当時のわたしにとっては、カーペンターズはただのポップ・バンドだった。

関心に目覚めたのは、大分、後だった。その辺の事情は別頁「期待はしないけど、希望をもって―『青春の輝き』」で、若干、触れた。

カーペンターズの音楽は50年代末から60年代初頭を彩ったポップスの70年代版のように聞こえた。ほとんど4つほどのコードの鋳型で大量生産されたローティーン向きの曲である。今やハーモニーの語彙は増え、ジャズ風のお洒落な味付けを施し、凝ったアレンジとコーラスの洗練されたサウンドとなった。だがあくまでもポップだった。

なんなら「プリーズ・ミスター・ポストマン」をビートルズ版と聞き比べると、すぐ実感できるはず。

しかし「青春の輝き」で、考えが変わった。そして、最近、その繋がりで、たまたま「愛にさよならを Goodbye To Love」を聴いて、驚いた。もちろん知ってる曲だったが、こんなことが歌われていたとは。

愛なき世界

作詞、作曲はジョン・ベティスとリチャード・カーペンター。「青春の輝き」のコンビである。歌詞は以下のようになる。

愛にさよならをいおう
わたしが生きてても死んでも 気にかける人はいない
愛のチャンスは何度となく通りすぎた
わたしは愛なしで生きる方法を知っているだけ
ただそれが見つかるとは思えない

だから心に決めた
わたしは独りで人生を歩まねばならないと
それは容易な道じゃないけど
わたしにはいつもわかっていたと思う

愛にさよならをいわなきゃ
わたしの心には 明日は来ない
きっと時間がこの辛い記憶を消してくれる
そして 信じられる誰か 生きる目的となる誰か
生きる目的となる何かを 見い出すだろうと

徒労に費やしたすべての年月は
ついに終わった
孤独と空虚な日々だけが
わたしの友だちとなるだろう
この日から愛を忘れ去り
わたしにできる最善を尽くそう

未来に何が待ち受けるか わたしたちには謎
運命の輪が崩れ落ちるか 誰も予言できない
わたしが間違っていると気づく時が来るかもしれない
でも今はこれがわたしの歌
それは愛に別れを告げる歌
愛にさよならをいおう

I’ll say goodbye to love
No one ever cared if I should live or die
Time and time again the chance for love has passed me by
And all I know of love is how to live without it
I just can’t seem to find it

So I’ve made my mind up
I must live my life alone
And though it’s not the easy way
I guess I’ve always known

I’d say goodbye to love
There are no tomorrows for this heart of mine
Surely time will lose these bitter memories and I’ll find
That there is someone to believe in and to live for
Something I could live for

All the years of useless search
Have finally reached an end
Loneliness and empty days
Will be my only friend
From this day love is forgotten
I’ll go on as best I can

What lies in the future is a mystery to us all
No one can predict the wheel of fortune as it falls
There may come a time when I will see that I’ve been wrong
But for now this is my song
And it’s goodbye to love
I’ll say goodbye to love

ほとんど衝撃を受けたといっていい。よく音楽は人と人を繋ぐものといわれる。だから音楽は愛だと。しかし「愛にさよならを」の最後の数行はそれを真っ向から否定しているかのようだ。

第3スタンザの最後(「そして信じられる誰か、生きる目的となる誰か/生きる目的となる何かを見い出すだろうと」)でわずかな光が射すようだ。しかし全体のトーンはあくまでも暗い。この部分がまるでポップス路線への場違いな擦り寄りのようにさえ見えるほどに。

「青春の輝き」にはまだ希望があった。しかしここにあるのはただ虚無だけのようだ。しかし、驚くべきことに、両曲には通底しているものがあるように感じられる。カレン・カーペンター的なものといってもいいかもしれない。

音楽と詩のミスマッチ

「愛にさよならを」は決して人生の応援歌などではない。愛を鼓舞するどころではない。逆に、まるで人生を全否定するような内容なのである。

ちなみに「愛にさよならを」の「愛 love」は「恋人」を意味するのではない。似たポピュラー音楽、たとえばエヴァリー・ブラザーズの「バイ・バイ・ラヴ」は失恋を歌う、あるいは泣きながら笑い飛ばすような曲である。つまり「ラヴ」は、ぼくのもとを去った彼女にほかならない。

またアン・ルイスの「グッドバイ・マイ・ラヴ」も失恋の歌だが、別れた人を思って生きていくという内容である。しかし新しい恋人が現れたら、心がすぐに方向転換するのにためらいはないだろう。

しかし、カーペンターズの「愛にさよなら」の love は、愛そのものなのである。愛を否定する音楽なのである。

これに近い曲があるとしたら、サイモンとガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」かもしれない。しかしフォーク・ロック調で歌い上げるポール・サイモンの音楽には、まだ主人公の思いが別の回答へ転じる可能性があるようにも聞こえる。表現が直接的だからである。

たとえばマーラーの音楽に渦巻く絶望はどれほど深いだろうか。彼の音楽の絶叫にも似た身振りは表現を深化させるだろうか。さりげなく、つぶやくように囁かれる絶望には、もっとぞっとするものがないか。

ところが「愛にさよならを」は1972年のビルヴォード誌でホット100の6位にまで達した。かなりヒットしたのである。

ここから、一般的な聴衆は音楽に耳をくすぐられているだけ、歌詞を聴いてはいない結論づけることができるかもしれない。あるいはこういった方が適切だろう。ソフトなサウンドと深刻な歌詞とのミスマッチが功を奏したのだと。おそらくはそれが戦略でもあっただろう。

しかし「深刻な歌詞」の片鱗がサウンドに現れていないともいえない。この曲で、カーペンターズは、曲調と不釣り合いともとられかねないハードなギター・ソロを入れた。確かにファズ・ギターは当時の聴衆や批評家たちを困惑させ、不興を買ったりもした。

しかし今になったら思う。あれは曲の底無し沼のような絶望からうめく言葉なき声だったである。

カレンの心に何が

そう考えてくると、「イエスタデイ・ワンスモア」のような曲さえ、新しく聞こえてくる。

「わたしがまだ若かったころ/ラジオに耳を傾けた/お気に入りの曲を待ちながら/曲がかかるとつい口ずさみ、微笑んだもの/そんな幸福な日々は遠い昔ではない/でも不思議なことに、それらはどこかへ消えてしまった」。

そうだ、そのとおりだった! 60年代を体験した人なら誰もがそう思うに違いない。ラジオは世界への窓を開く宝の箱だった。アルバムの中で、ここからかつてのヒット曲のオンパレードが始まるのは偶然ではなかった。それはカレンの愛の根源への旅だったのかもしれない。音楽への愛が彼女を支えたのだろう。

「でもそれらは不思議なことにどこかへ消えてしまった」のだろうか。「愛にさよならを」の歌詞にある「生きる目的となる何か」に音楽は値しなかったのだろうか。

子供の頃は親の愛を無条件に信じて生きてきたかもしれない。でも成長したら、どうなるか。「わたしは愛なしで生きる方法を知っているだけ/ただそれが見つかるとは思えない」(「愛にさよならを」第1スタンザ、4・5行)。カレンの人生はそれを証明してしまったのだろうか。

全世界が心から愛したアイドルだった。だが彼女の心は人知れぬ孤独に蝕まれていたのかもしれない。いや、大いなる愛と栄光に包まれていたからこそ、その孤独は深かったのかもしれない。