二元論を超えて―モーツァルト『40番』7(完)

一方でとことん暗さを追求したモーツァルトが、それを補うような工夫をしたことは、たまたま偶然だったと? 無自覚的にペンを動かしたら、そうなったと? ありえない。『40番』第1楽章の「涙も追いつかない」前進衝動は、明らかに、意図的な仕掛けの賜だった。

すでに開始からモーツァルトの意図が見える。冒頭のヴィオラのさざ波は1小節しかない。音楽は、普通、同じものを2回反復してひとつの単位をなす。それで心に準備ができる。ところが『40番』は「何かが始まった」と思ったら、すぐに音楽が飛び込んでくる。心は無防備なままである。

その効果がわかりにくかったら、譜例下の例を見るとよい。ハイドンの交響曲第100番『軍隊』第1楽章の第2主題である。『40番』の作曲が1788年、モーツァルトの死が1791年、『軍隊』が1803年から4年の作とされる。ハイドンがモーツァルト最後の「三大交響曲」を知らなかったはずがない。『40番』の印象がここに無意識のうちに現れたのだろうか。旋律がそっくりだし、調性もモーツァルトのト短調に対し、ト長調である(この部分はニ長調、再現部で主調のト長調となる)。しかしハイドンでは2小節の「前置き」の後、主題が登場する。非常に安定的な、普通のやり方である。「さあこれから登場します」という前振りどおり、主題が悠然とやって来る。

『40番』の普通でない書き方が明らかだろう。音楽はあわてふためいたように駆け出す。いや、いつ始まったかもよくわからない。ちなみにヴァイオリンをすべてオクターヴで旋律に回し、ヴィオラを二部に分けたモーツァルトの特異な書き方と、ハイドンの「普通の」書法の違いもここで確認できる。

同じような開始はモーツァルトでいくつか見られるが、典型的なのは『フィガロの結婚』のケルビーノのアリア「自分で自分がわからない」だろう。愛の衝動に駆られた少年が、自分を支配する得体の知れない何かに衝き動かされて歌い出す。

前奏とさえいえない1小節に、それさえ待てないかのように、アウフタクトで旋律が飛び出す。驚くべきことに二分の二拍子、アナペストのリズムの多用も『40番』と酷似している。『40番』と深いところで繋がっているのは明らかである。

前のめりする音楽

心が準備する前に前のめりに音楽が出てしまう。そんなありようは次のような書き方にも見られる。展開部に入って、変ロ長調からあっという間に嬰ヘ短調(=変ト短調、変ロ長調の長3度下の短調)へ転じ、再び第1主題が現れるところである。

木管で嬰ヘ短調らしきスケールが出て、最後に調が確定される。冒頭に準じるなら、譜例下のように主題を提示するのが順当だろう。ところが調が決定的に落ちつかないままで、主題が2小節前へ飛び出してしまう。明らかなフライングである。音楽は決して遅滞してはならない。

同じ書き方は再現部でも見られる。

展開部の最後のところ、定石的に属音のオルゲルプンクトが置かれ、再現を待ち受ける長いドミナント部分となる(ドミナント・プレパレーション)。しかしト短調に解決するのを主題は待ちきれない。解決の2小節手前でこれまたフライングして駆け出してしまう。先の展開部の入り口と同じ発想だが、和声の構造が明確なだけに、フライング効果はこちらの方がはっきりしている

蛇足的に解説しておくと、Es-D、Es-Dという旋律の歌い出しの音はDに還元できる。Dはト短調の第5音であり、主和音TのG・B・Dの第5音、属和音DのD・Fis・Aの根音であり、両和音に共通している。だからD→Tの和音進行で、Dの部分から主題を出すことができるのである。つまり、一見、無謀ともいえる書き方は完全に理論的にサポートされている。

フライング効果とは、期待・予想されたものが前倒し的に起きてしまう、一種の裏切りともいえる。『40番』ではわれわれは何度となく裏切られ、絶え間ない前進衝動の渦の中に置かれる。そして裏切られているのはわれわれの理性であるがゆえに、そこに何か非理性的なもの、ある種の狂気に似たものを感じさせずにはおかない。20世紀のある論者はモーツァルトに「デモーニッシュなもの」を見たが、それには理由がないわけではない。

あるいはこうもいえるか。悲しみの感情が湧くのは、悲しみそのものからというより、悲しみへの「意識」「気づき」からなのかもしれない。モーツァルトの音楽は意識の先を行くかのようだ。気づきのいとまを与えない。それを詩的に表現すると「涙は追いつかない」となるのだろう。

暗くて明るいモーツァルト

もう一度『40番』の「暗い要素」と「明るい要素」(これまで、便宜上、そういっておいた)を列挙してみよう。

-暗い要素-
1.短調領域の圧倒的な広さ
2.短調へ向かう悲劇的な構成
3.伝統的な悲劇的表現の語法の多用
4.室内楽的な編成による内向きの性格
5.オクターヴ・ユニゾンを駆使した表現の深化

-明るい要素-
1.モルト・アレグロ、二拍子の疾走する快速調
2.強力な推進力で駆り立てるリズム法
3.フライングして前のめりする前進衝動

暗い要素とは心的方向へ下降する「内へのベクトル」、明るい要素とは身体的運動へ上昇する「外へのベクトル」といってもよかった。正反対を向いた全く逆のベクトルは音楽に亀裂を生み、破綻へと導くかに見える。ところが奇跡が起きた。両者は相反することなく統合され、完璧に形式化された。そして、まったく独自の音楽へと結晶した。『40番』の根本的な難しさがここにある。

驚嘆すべきは「暗」と「明」はどちらかが打ち消されるとか、相殺されるのではないことである。光は影によっていっそうきわだつ。モーツァルトの音楽の優美さをシューマンが「ギリシャ風に漂う」と形容したのは、それが崇高な輝きを帯びているからである。ただのきれいなだけの音楽ではない。深淵の闇を背景に浮かび上がる美なのである。儚くも妖しい光を放つ美。

モーツァルトに理性の制御を超えた「デモーニッシュなもの」を見たのは、アルフレート・ホイスだった。20世紀初頭のことである。晴れやかで、幼子が微笑むようなモーツァルトの音楽に、影を見い出すのに1世紀以上もかかったということか。1960年代を中心にした、やや縮小したロマン派オーケストラによる、巨匠の演奏は総じてテンポが遅い。ワルター、ベーム、クーベリック、バーンスタイン等々の演奏だが、ほとんどモルト・アレグロとは思えない遅さである。明らかにこれはモーツァルトにただの明るさだけはでない暗さ、影を求めた時代の帰結だったろう。要するに『40番』の演奏スタイルに「デモーニッシュなもの」が反映するのに、ホイスからさらに半世紀以上かかったというべきか。

70年代から室内オーケストラが進出し、ピリオド楽器全盛の時代が訪れた。また時代考証とか「楽譜に忠実」が叫ばれると、テンポは速くなった。この傾向は20世紀末からの資料研究や、映画『アマデウス』(1984年)の大ヒットに象徴される、モーツァルト観の変質と微妙に呼応してもいるのだろう。音楽家としては天才だが、軽薄な人間?の音楽に「深さ」を求めるべくもない。そうしたモーツァルトを求める時代のおそらくは無意識の流れの中で、総じて「明るい要素」を強調する演奏が多くなるという傾向があるのかもしれない。

「遅い=暗」「速い=明」という図式をあまりにも単純に何にでも適用すべきでもあるまい。ただそうした観点から、演奏スタイルとその背景にあるモーツァルト像の変遷を辿ることも、ある程度は、可能なのだろう。というのも、ひたすら暗い意匠を施した音楽に疾走するテンポ感を与えることで、落ち込みを防いだモーツァルトの意図は天才的に功を奏しており、アプローチが二つの天秤の間を揺れるのは、ある意味、当然だろうからである。『40番』のテンポ設定はきわめて重要であり、そこから演奏家と時代のモーツァルト理解、そして音楽そのものの本質が透けて見えさえするのである。

音楽の性格決定にテンポが深くかかわるという認識は一般的なのかどうか。しかしモーツァルトが用いた手段の効果は絶大だった。このシリーズの2で紹介したように、多くの一般的聴衆にとっては、『40番』はハイドンやベートーヴェンの短調作品より明るく聞こえるのである。テンポとリズムの威力ははかりしれない。

二元論を超えて

とはいえ「明」「暗」という相反する要素といえども、『40番』においては完全に調和し、無欠の作品へと昇華されていることは、何度強調してもしすぎることはない。どす暗い悲劇性は否定されるのではない。むしろ厳粛にありのままを受け止めることによって、彼岸的な統一へと到達しているのである。驚くべきことである。それを言葉でいうことはきわめて困難だが、詩的にいうと「疾走する悲しみ」とかしかいいようがないだろう。あるいはウリヴィシェフのように「魂の奥深くに押し隠された限りない苦悩への嘆きが、せいぜい親しい友の胸にのみ吐露された」といった文学的ないい回しになるのだろう。あまりにも深い悲しみが、こらえきれずに漏れ出たのだと。しかしそれ以上だろう。

確かなことは『40番』の根底には徹底した悲劇への直視があるということである。生をめぐるどんな楽観的な見方も退けるある種のリアリズムがある。それは明らかにモーツァルトの中に住む峻厳な人生観察者からしか出てこない。人生を、人間を、彼はオブラートで包んだり、都合のいいように解釈して見たりはしない。彼の目に映ったのは、安易な救いなどない悲惨な現実だった。『40番』で徹底して描かれた悲劇である。モーツァルトはこの真実をありのままに表現したのだが、涙の雨を降らせ、苦しみで顔を歪めてではなかった。

ところで現実における悲惨の最たるものは「死」だろう。1787年、『40番』作曲の1年前に、死の床に就いた父親に宛てて、モーツァルトは有名な手紙を書いた。思えば22歳の時、彼はパリの孤独の中で母親の死に遭遇した。即物的で、容赦ない、残酷な現実である。しかし10年後のモーツァルトは死を「生の本当の最終目的」「人間の真実で最上の友人」と呼んでいる。今や死を受け入れ、そして、こう続ける。

―ぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすはもうこの世にはいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。でもぼくを知っている人はだれひとり、付き合っていて、ぼくが不機嫌だとか悲しげだとかはいえないでしょう。

『モーツァルトの手紙Ⅴ』海老沢敏訳、白水社、2001年、385頁。

悲惨な現実を受け入れながらも、いや、受け入れたがゆえに、モーツァルトの生は虚無にはならない。諦念というのでさえない。「そこに在るという」覚悟からこそ生への前向きな姿勢が生まれる。モーツァルトはそれを「幸福」と呼んでいる。すべてを見とおす冷酷な人生観察者と、他者への思いと気づかいに満ちた生活者の間に何の乖離も、矛盾もない。そこには二律背反的な分裂どころか、統一した強靱な人格がある。『40番』と同じように、である。