音楽は感情を表現するか1―バッハとシューマンを例に

音楽が感情を表現することを疑う人は少ないだろう。しかしそれはどのようなメカニズムによって可能になるのだろうか。ここで哲学的思弁や形而上的な教義に迷い込まないようにするには、歴史に目を向けるべきだろう。歴史は具体例の宝庫である。

音楽学という学問領域には大きく「美学」と「歴史」がある。ただし歴史はただの事実の集積ではなく、読まれるべき、解釈されるべき対象であるから、本来的には美学と不可分である。そして、いうまでもなく、音楽学には作品という具体的な拠りどころがある。

ただし、音楽学では、たとえば作品そのものを分析する「アナリーゼ」も、他領域と接点なく、並存している感がある。本来的には音楽学の基礎をなし、美学と歴史を繋ぐべき立場であるべきだろうに。そうすることで、作品から遊離した解釈の上書きの連続を阻止できるだろうに。反論可能な実証性ある議論の出発点がそこにあるはずなのだが。

ここでは音楽の感情表現という美学的なテーマを歴史的な視座から説き起こし、アナリーゼをとおして統合してみよう。

「表現」への歴史的足どり

音楽には複数の独立した旋律が同時進行するポリフォニーと、ひとつの旋律と伴奏からなるスタイル(広義のホモフォニー)がある。前者はバッハ、後者はショパンの音楽を思い浮かべればいい。どちらのスタイルが複雑かはいうまでもない。

ここでひとつ問うてみたい。歌と伴奏というホモフォニーの形態はわれわれにお馴染みである。ここに行き着くためにはどういう発展経路を辿ったのか。ひとつの旋律に和音をつけて完成したのか。そうではない。

バッハとショパンという作曲家の二人の生没年が示しているように、実は、ホモフォニーはポリフォニーから発展したのである。歴史は複雑化の過程であるという既成概念はもろくも崩れ去る*。

*ちなみに西洋音楽の源流ともされるグレゴリオ聖歌は単旋律のモノフォニーだった。そこに新たな旋律を加え、ポリフォニーが発生した。900年ごろともされる。そこから歴史が大きく動き出す。またバッハの音楽のポリフォニー的性格は前の時代の遺産の継承を強くうかがわせる。

ポリフォニーからホモフォニーへの転換点となるのがバロックだった。むしろスタイルの劇的な変化がバロック期(1600-1750年)という歴史区分を生んだというべきか。

変革が生じた理由は感情表現が音楽の新たな目的となったからである。デカルト(1596-1650年)はいっている。「音楽の目的は感情を喚起することにある」(『音楽提要』1619年)と。

逆にいえば、それまでの音楽は感情の表現を主要な目的としていなかった。ポリフォニーは崇高な音響体を構築していたが、人間的なものの表現、あるいはおそらくは表現そのものに向けられてはいなかった。声部が絡み合うため、歌詞もよく聴きとれない。

そこでどうしたか。たとえば標準的な四声体を考えてみよう。ひとつの旋律とバスをとり出し、ほかの声部をバスの上に和音として加え、伴奏に回るようにした。これがバロックの「通奏低音」様式であり、新時代の表徴となる。

もはや四声が独立して動くのではない。支えとしてのバスを置き、あとは和音に回すというのは、旋律重視の結果にほかならない。その理由は旋律には歌詞があり、言葉が何かを表現しているからである。

ここで歌詞の重要性に焦点があてられることになる。そもそも中世以来の宗教音楽は一般には馴染みのないラテン語だった。しかしルネサンス後期ではフランスのシャンソンをはじめ、イタリアとイギリスのマドリガルなど、母国語で軽妙な恋の歌を歌ったりした。

音楽における歌詞への興味が高まる中での決定的な一歩が通奏低音の創出だったのである。

当時の代表的な作曲家のひとり、モンテヴェルディは「音楽は言葉の従順な娘だ」といった。音楽から言葉への重心の移動が生じる。なぜなら音楽が表現するのは歌詞の内容となったからである。こうしてバロック的美学の結晶ともいうべきオペラが誕生した。

音型論

だからバロックにおける「音楽の感情表現」といういい方は、より正確を期す必要がある。というのも、音楽自体が何らかの感情を表現するというよりは、歌詞が表現する感情を音楽が描き出そうとする発想が根底にあるからである。表現する主体は音楽ではなく、言葉なのである。

その時、有効だとされたのが、音画的手法だった。伝統的にミサ曲では聖霊が天から「下り descendit」という歌詞には下行する音型が、復活して天に「昇り ascendit」には上行する音型が用いられたりもした。音画的手法とは言葉を音楽で形象化する、すなわち楽譜上で見えるようにする技法である。

マドリガルなどではこうした音画的手法が駆使された。「涙が流れ」では音符はそれらしくしたたり落ちたり、「死」では陰鬱な半音階が用いられたりなど、特定の音型と歌詞が結びついたりしたのである。

これを「音型論 Figurenlehre」といったりもする。通奏低音様式では基本的に旋律とバスの二声の構造なので、ポリフォニーのしがらみから解放されたメロディーは、歌詞に従って、いっそう自由に動き出す。むしろそれが通奏低音の目的だった。

音型論のほんの一例を理論家・作曲家のマテゾン(1681-1764年)の記述から見てみよう。

たとえば、喜びはわたしたちの魂の拡張であるので、必然的に大きく、幅広い音程によって最もよく表現できるというのが合理的かつ自然な帰結となる。
一方、悲しみはわたしたちの身体の微妙な部分を収縮させることを知れば、この感情には小さく、さらには最小の音程が最も適していることは容易に理解できる。(『完全なる楽長』1739年)

英語版 wikipedia: Doctrine of the affections

マテゾンと同時代の、バッハの音楽における音型論の実践に目を転じよう。下の譜例は『マタイ受難曲』の有名なゲッセマネの場面である。十字架にかけられる前日、イエスはひとり祈るため使徒たちから離れた。しかし「待つように」という言葉にもかかわらず、戻ると、皆、寝りに落ちていた。そこでイエスはいう(第18番レチタティーヴォ)。

「悲しい betrübt」という言葉に注目である(譜例 青)。ハ短調の旋律はこの語とともに、調にはない Des へ転じる。まさにマテゾンのいう「最小の音程」である半音上への進行である。さらに「死に至るほどに」の「死 Tod」(譜例 青)も、奈落への墜落のように描かれる。

これに対して、第21番の合唱付きのアリアで、独唱テノールが「わたしは目覚めていよう」と歌う。使徒たちは眠ってしまったが、聴衆の熱い思いを代弁するのである。そしてイエスの受難がキリスト者の救済に、そしてつまりは「わたしの喜びとなる」というキリスト教のロジックが展開される(「 あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」『ヨハネの福音書』16章20節)。

「悲しみ Traunen」(譜例 青)と「喜び Freuden」(譜例 赤)の表現が連続する。

こちらの「悲しみ」は最小の音程とはいえないが、4度枠の上音Aがフラットしているところがポイントか。これに対して「喜び」の表現は派手である。7度の幅広い音程をメリスマが躍動する。

言葉に近いレチタティーヴォ(上)と音楽に近いアリア(下)の違いはあるだろうが、旋律形成に歌詞の意味が影響を与えているのは明らかである。

音画的手法の限界

これがバロックにおける感情表現である。確認しておけば、言葉が指示する感情を音楽が描き出すのである。しかし、ただちに困難さがあらわとなるだろう。感情は「描き出す」にはあまりにも抽象的だからである。

本質的に、音画的手法は感情の描写には適さないということである。すでにミサ曲の例で触れたように、音で歌詞を描く手法は伝統的に古くから存在した。ここでは再びバッハの例で確認しておこう。カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の第4番レチタティーヴォである。

神(至高者 Höchsten=最高音Dで示される)がおごれる権力者を「引きずり落ろす stößt」、謙虚な者を「引き上げる erhebt」で、旋律は常套的に下行、上行の音型が用いられている。通奏低音のパートもアルペジオで落下、上昇し、音画化に参加する。11小節目の「立ち上がれ Auf」からはバスでアルペジオの4音が徐々に隆起する。

なお7小節目からのバスによって地震が描写される。当然、歌詞の反映である。まあそれらしくはあるかもしれない。

だがこれはどうか。冒頭の「頑なさ Verstockung」(譜例 青)の減7度の特徴的な音程、「哀れな人々 Elenden」(譜例 青)の半音で歪められたような進行も言葉の描写なのだろうが、それ以上でもそれ以下でもない。歌詞がなかったら、音楽が表していることはわかるはずもないだろう。

上下の動きのような比較的単純な描写から、対象が抽象性を増すと、音楽表現はますます曖昧とならざるをえない。

バロックの感情描写

しかし対象の問題だけでもない。そもそも音楽それ自体が抽象的なのである。音楽でリンゴを描けといっても無理といわざるをえない。絵画ならたやすいだろうに。

それに、たとえばR.シュトラウスのような作曲家なら可能だ、ということにもならない。なぜなら羊の鳴き声を音楽で完全に模倣できた時、音楽は音楽でなくなるだろうからである。音楽が音楽である限り、本質的に抽象的なのである。

だから音楽では「これは~を表している」という説明が常に必要となる。そしてそれが「悲しみ」であるとしたら、必然的に類型的となる。なぜなら言葉、概念化はすでに捨象だからである。悲しみにはいろいな度合い、ニュアンスがあるだろうが、「悲しみ」といった時、微妙な特性は切り捨てられるしかない。

次の例はカンタータ第12番「泣き、歎き、憂い、怯え」(1714年)の第2曲の合唱である。曲のタイトルともなっている感情にまつわる言葉が連鎖的に歌われる。

「泣く」「嘆く」を促す感情は悲しみかもしれない。「憂い」ではそこに不安が、「怯え」は恐怖が加わるかもしれない。ちなみにここで歌われているのは、特定の事象に向けられているのではなく、キリスト者ならこの世で遭遇するであろう苦難への感情である*。未来への眼差しが憂いや怯えをもたらすのである。

*この曲は復活節のカンタータだが、開始部分は沈鬱である。しかし、イエスに従う決意とともに、すべての苦しみは祝福に転じる、と歌われる。最後はトランペットが加わる晴れやかなコラールとなる。

しかしもろもろの感情はほぼ同じ音型で書かれている。「悲しみ」を表すといわれる狭い音程である(下方短・長2度)。ただ「憂い Sorgen」だけ B-G-E に音程が広がる。3回目に音楽的変化を求めたとも考えられるが、確実なのは、音を動かすことで和声との整合性が図られていることである。つまり音型の保持より和声的原則が優先したということか。

いずれにしても、悲しみにまつわる微妙に異なる感情は一緒くたに扱われているのは間違いない。合唱という形態であることにも理由があるかもしれないが、音型でことさら感情のニュアンスを描写しようとはしていない。すべて悲しみというグループ内にある。もともと音型論は修辞学上のいくつかのモデルへの音楽フレーズのグループ化だった。

特徴的なのは、主音Fから属音Cへ半音階で下行するバス声部である。よく知られているように、これは「ラメント・バス」というバロックの常套的な語法である。ラメントは死を悼む詩や歌で、音楽では「哀歌」ともいわれる。ラメント・バスは「悲しみの低音」と呼ばれることもある。音型とともに悲しみの表現に参与しているのである。

ここで2つのポイントを指摘しておきたい。

1.音型論では、音の型のみならず、他の音楽的要素も総合的に表現へかかわる。

分類化された言葉の内容を、対応するパターン化された旋律の動きで描き出すというのは、そもそも表現といえるのか。硬直した理論であり、荒唐無稽の感を免れないではないか。もし音型論がある種の有効性をもつとしたら、調性やテンポ、ハーモニー、それにバスなどの音楽の諸要素が協働的にかかわることによってであろう。
音型論による描写が単なる類型的な表現を超えることができるとしたら、こうした総合的な組み合わせによってだろう。

2.ラメント・バスは直接的に悲しみを表現するわけではない。

音型論もそうだが、ラメント・バスもバロックの一種の「決まり事」「約束事」なのである。死を表現するというより、死を連想させるものとしての慣用句といえる。だから時代を超えた、普遍的な表現を見てはならない。
ちなみにバロックの最も有名で典型的なラメント・バスの用法がパーセルのオペラ『ディドとエネアス』(1680年代)にある。主人公が死にゆくみずからの運命を歌うディドの第2アリア「わたしが地中に横たえられた時」である。ただしバッハのカンタータ第12番の例は、直接、死には結びついていない。またこの曲とまったく同じFからCへのラメント・バスを使った例として、ビートルズの「ミッシェル」(1965年)がある。曲の内容はフランス人女性ミッシェルとのコミュニケーションの不在にあり、死や悲しみとの結びつきは希薄といわざるをえない。

バロックは人間の実体として感情を発見した時代だったといえよう。音楽はまさにそれを描き出そうとしたのだが、拠りどころとしたのは歌詞だった。だが感情を表す言葉をただ音型で音画的に描写するだけでは、明らかに無理があった。

それにしても、上で見たカンタータ第12番第2曲など、深い感情を湛えていることは誰でもわかる。

描写を超えて

バッハもそれをよくわかっていた。

これもよく知られているように、カンタータ第12番「泣き、歎き、憂い、怯え」の第2曲は晩年にミサ曲ロ短調の「十字架に架けられ Crucifixus」に転用された。音楽はほぼそのままに、歌詞だけを換えて使われたのである。こうしてミサ曲全体の中心において、感情の最深部を形成することになる。

確認しておくと、歌詞を換えて転用したということは、描かれた感情が類型的であことと、感情の描写が本来的に曖昧であることを同時に示している。キリスト者が出会うであろう苦しみからにじみ出る悲しみ(カンタータ第12番)と、キリストの死を悼む悲しみ(ミサ曲ロ短調)は質が違うはずである。だが、基本的に、同じ曲が使われたのである。

もしも言葉に忠実に従うなら、たとえば「十字架の音型」*で新たにクルチフィクススを書くこともできただろう。たとえばシューベルトのミサ曲第5番変ホ長調D.678のようにである。

*「十字架の音型」とは、ある音から上下にジグザグに動き、もとに戻るフレーズ。『マタイ受難曲』での「十字架につけろ」という民衆の怒号の叫び(第45b合唱)などに典型的に見られる。もちろん十字架を描写する常套的な音型であり、十字架を「表現」するわけではない。

またカンタータからミサ曲への転用のさい、バッハは、若干、音楽にも手を加えた。前奏を加え、最後には手の込んだ不協和音を入れたが、まず原曲のヘ短調*からホ短調へ移した。ホ短調はシャープひとつの調号で、♯=Kreuzはドイツ語で十字架を表す。結果としてラメント・バスの反復は12回から13回となった。この数字の意味するところも明らかである。つまり元の楽曲に対して「十字架」と「受難」を象徴的に示そうとしたのである。

*カンタータ第12番第2曲は調号がフラット3つでハ短調のように見えるが、調的にはヘ短調である。これはバッハの初期作品によく見られるように、短音階というより、ドリア旋法が想定されているからである。

こうした工夫によって、感情の質が決定的に変容したといえるだろうか。音楽を聴いただけで、違いがわかるだろうか。確かなことは、比較的初期の作品であるカンタータから曲を転用しようとした時、バッハは言葉の描写というより、深い表現性に注目したことである。カンタータ第12番の楽曲はその目的にかなった。

ただし、感情表現においては原曲を踏襲したのだったが、「死」を連想させるラメント・バスの用法において、むしろ原曲より伝統に立ち返ったとさえいえるだろう。

こうしてクルチフィクススはバロックの感情表現の集大成のような音楽となった。キリストの受難が呼び起こす大いなる感情を、言葉を超えて、比類無い深みで音楽が表出したのである。いっさいの感傷から離れて、悲の海原に果てしない哀しみの波が押し寄せるようだ。

だがそれは言葉を硬直的に描写したからではなかった。あるいは象徴のせいでもない。バロックが意図した感情表現のためのあらゆる企てを総合的に適用したからだろう。

音型論を超えて

バッハを称賛するために、音型論に焦点をあてて論じる立場もあるだろう。しかしそれでバッハの音楽をすべて解き明かしたように思うのはどうか。上の数々の例でも見たように、音型論は歌詞に音をつけるさいの慣用句として、作曲する側の便宜でもあった。バッハの用法がいかに巧みであっても、そのレヴェルにとどまる。

バッハの音楽表現の凄さを究めるのはそう単純ではないし、一筋縄ではいかない。

実は19世紀にハンスリック(1825-1904年)が執拗で徹底的な攻撃を仕掛けたターゲットは、こうしたバロック的な感情の描写的で固定的な決めつけなのである。「音楽は感情を表現しない」といいう彼の言説の真意はそこにある。

実際、西洋音楽史では、続く時代は言葉からの音楽の離反という流れを辿る。クラシックの一般的なイメージは「長い」と「歌詞がない」だという。そんな固定観念が歴史によって醸成されていくのである。

器楽が優位に立ったのはバロックの次の古典派の時代であり、クラシカルな形式と表現の均衡が達成された時期ともいわれる。次のロマン派の時代は、形式より表現に傾くというのが一般的な見方でもある。

したがって、音楽の表現を考えるにあたって、次にロマン派の代表的な作曲家としてシューマンをとりあげてみよう。しかも歌詞がある曲を選ぶことによって、バロックの感情描写とロマン派の感情表現が明確に比較できるだろう。

なお、CDについては、『マタイ受難曲』で YouTube から引用したミュンヒンガー盤は、現在、廃盤のようなので、紹介を省略する。