モーツァルト短調作品の心臓部を「読む」3―K.457とちょっとした演奏論

これまで、モーツァルトの5つの短調作品をとり上げ、核心的な部分に光をあて、解析を試みてきた。「模範的な形式主義者」がいかに多彩なアイディアをもって音楽を思考していたかを読み解く。そんな楽しみをシェアしたい。さらにはそもそも楽譜を「読む」というのがどういうことなのか。その具体例を示す試みでもあった。

その目論見がいくらかでも達せられていたらさいわいなのだが……。さらに続けてみよう。

変貌するソナタ―ピアノ・ソナタ ハ短調K.457

1784年にモーツァルトはピアノ・ソナタにおける2作目の短調作品を書いた。1784年といえば、第14番変ホ長調K.449から第19番ヘ長調K.459までの、6曲ものピアノ協奏曲が量産された年である。作曲家としての、また演奏家としての絶頂期を迎えていたかのようだ。

また同年は、バッハの音楽との邂逅から2年以上を経ており、新たな養分が創作の土壌を潤していた時期でもあっただろう。

ピアノ・ソナタ ハ短調K.457は出版業者トラットラー夫人、テレーゼのために作曲されたという。彼女はモーツァルトのピアノの弟子でもあった。当時、モーツァルトはトラットラー氏宅に間借りしていたが、売れっ子としての活躍を反映してか、より大きな住居へ引っ越した。ソナタはその一か月後に完成した。翌年、アルタリア社から出版された時、夫人への献辞が添えられていた。おそらくはお世話になった「お礼」の意味があったのだろう。

出版された楽譜のタイトルには「ピアノフォルテのための幻想曲とソナタ 」とある。ハ短調幻想曲K.475とソナタがセットにされているのである。

ここにバッハからの強い影響、あるいは対抗意識が垣間見えるし、また見るべきではないか。なぜならバッハの音楽の代表的な作品のひとつが「前奏曲とフーガ」のペアだったからである。それを意識して、モーツァルトはみずから時代に合わせて「幻想曲とソナタ」としたのではないか。自由なスタイルの幻想曲(前奏曲)と、厳格な形式のソナタ(フーガ)を組み合わせたのである*。

*ちなみに「幻想曲」と「前奏曲」という用語はバロックでは同義のように使われていた。また1782年頃、モーツァルトはバッハの『平均律クラヴィーア曲集』の楽曲などを編曲したり、前奏曲を新たに書き加えたりもしていた(『5つの前奏曲とフーガ』K.404a、『6つのフーガ』K.405)。同時期にモーツァルトはフーガ制作に集中し、多くの作品は未完で残されたこともよく知られている。

つまりK.457の成立は1784年当時のあらゆる状況・環境を反映しているかに見える。ただし内容は孤立してもいるようだ。激烈な表現と沈潜性が同居するような独自の個性を備えているからである。家庭音楽から出発したソナタではあったが、ここで芸術音楽へのジャンルの概念の転換が生じたことを示唆してもいるようだ。

K.457が孕む飛躍はベートーヴェンへと受け継がれる。そしてその響きは、確実に、ハ短調ソナタの系譜(特に第5番作品10-1、第8番『悲愴』作品13)に谺している。

ここでは、例のごとく、ソナタの一部分にスポットをあてる。再現部、第2主題の直前である。第1主題冒頭のモティーフが折り重なるように崩れ落ちると、突然、変ニ長調の部分が現れる。そして、これまた唐突に、ドッペルドミナントによって強引にハ短調へ引き戻される。

第1楽章中ここでしか見られない書き方であるだけに、モーツァルトの特別な思い入れがうかがえる。そこに何を読みとるか。

光から闇へ

第1主題モティーフの積み重ねはフーガのストレットのようだ。ストレットは主題の終結を待たず、追い打ちをかけるようにテーマが次々と侵入する手法で、フーガの最後の山場でよく用いられる。イタリア語 stretto の原意は「急迫して」であり、音楽用語としても用いられる。

そして、まさにハ短調の急迫から、突然、場面が変わり、のびやかな変ニ長調の旋律が浮かび上がるのである。変ニ長調といっても、調は確立されておらず、安定性を欠いている。低音には主音 Des はなく、属音 As がずっと置かれているからである。長調の明るい響きは浮き足立っており、まるで夢心地のようだ。だが夢に浸る間もない。決定的なドッペルドミナントが鳴り響き、ハ短調に引き戻される。

あの変ニ長調の予感は何だったのか。確かなことは、明るい予感は辿り着くことになる闇をいっそう深めるということである。

ベートーヴェンは「暗黒から光明へ」のメッセージを込めて、音楽を「芸術化」したのだったかもしれない。だがモーツァルトの音楽にはそもそもメッセージ性は無く、むしろ「光から闇へ」の構図がある。しかしマーラーのように大きな身振りも、涙の雨も、絶叫もない。

ここでちょっと理論的な話をしなければならない。束の間の長調へのゆらめきで、なぜ♭5つの変ニ長調が選ばれたか、である。ハ短調から遠く見える調ではないか。だが変ニ長調はハ短調からは「ナポリの6」の和音の調といえる。この名称はバロック期のナポリ派オペラで用いられたことに由来する。オペラ・セリアの悲劇的な表現をきわだたせる和音なのである。

「ナポリの6」は、ハ短調を例にすると、変ニ長調の主和音の第1転回型F・As・Desの和音である。通奏低音では第1転回型を「6」で示したので、こう呼ばれる。数字は転回型を表すのである。これがハ短調のサブドミナントとしてドミナントG・H・Dの前に配される。バスのF→Gに対して、ソプラノではDes→(C)→Hという特徴的な進行が生まれる*。苦渋に歪むような響きとなる。

*次の譜例の下の例をご覧いただきたい。これはナポリの6の普通の用法だが、Des-H、およびそれらを繋ぐCの進行を赤丸で示す。

だから変ニ長調はハ短調にとって、遠いようで、近い調ともいえる。ナポリの6といういわば近道から、すぐに復帰できる調だからである。

しかしモーツァルトは「ナポリの調」をかすめながら、近道を使わなかった。普通はナポリの6をドミナントに直結するところを、さらに強力なサブドミナントであるドッペルドミナントを置いたのである。どんな感じだろうか。比較のために、原曲の下に「普通」と思われる例を書いてみた。

ナポリの6の和音は♭Ⅱで表す。右肩の1は転回型。

変二長調を経由する以上、ナポリの6を使う方が合理的でさえあるように思える。下のわたしの拙い例はできるだけ音の変更を少なくしてあるのだが、たとえばこんな風にあっという間にハ短調のⅤ7に行き着くのである。

2つを弾き、あるいは聴き比べてみると、違いがわかる。楽譜に慣れてくると、譜面づらだけで感じとれる。上は、突然、ぴしゃりと夢から起こされて、現実へ引き戻されるかのようだ。下は「気がついたら現実にいた」という感じか。

実はモーツァルトの書法は、いかにもというパターンでないだけに、ある意味、個性的かもしれない。それだけに、モーツァルト的なものを強く示唆しているともいえるだろう。「光から闇へ」の構図におけるモーツァルト的な特性、あるいは表現の根底にあるのは何か。

ためらいがあるとしても、それが変ニ長調への浮遊に現れているとしても、短調への帰還には何か決然としたものがないか。ドッペルドミナントは強く音楽を方向づける。ただの事の成り行きではない。「そうなるしかない」。ハ短調への帰還は避けられない何か、ある種の宿命性さえ感じさせる。

この「光から闇へ」の根底にあるのは、古典的な悲劇性ともいえようか。存在を脅かす運命であっても、人間は雄々しくもみずからそれを受け容れなければならないのである。ギリシャ悲劇のように。

それに対してナポリの6はまだ夢を、それゆえ自我を引きずっているかのようだ。「光から闇」の作曲家にショパンがいるが、彼もナポリの6を好んだ。ショパンだったら、下のように(もちろん、もっと素晴らしく)書いたのではないか。

モーツァルト演奏の要諦

それにしても、外に向けて声を張り上げる時と、内に向けて穏やかに話す時では、人は同じ状態だろうか。そんなはずはない。二つの発声が、同じ速さで、間も置かず、声色も変えずに連続するとは思えない。不自然でしかないからである。

だが同じ事がここで起きている。高圧的ともいえるストレット部分と、やさしい変二長調部分のきわだったコントラストがある。ベートーヴェンはそれを特に好み、極限まで推し進めた。とはいえ、fとpの対比は、もともとモーツァルトのお家芸でもあった。

すると「モーツァルトはロマン派ではないのだから、やたらルバートしてはいけません」という音楽の先生のありがたいお言葉が脳裏に響くかもしれない。「モーツァルトはイン・テンポで」と。確かに、部分をただ繋ぎ合わせ、細部の表現の耽溺にやたら傾くような音楽ではない。分裂したテンポは問題外である。 

しかし機械的なメトロノームのテンポで、顔色一つ変えずにただひたすら「通過」するのがモーツァルト的演奏なのか。それは人間の、すなわち音楽の生理に反していないか。

ここにモーツァルトの演奏における難しさの本質があるといえよう。すなわち全体の一貫性と細部の表現の統一である。変化しないものと変化するものの止揚である。

今、問題にしているK.457第1楽章再現部の推移部など、モーツァルト演奏の要諦ともいえる課題が突きつけられる箇所でもある。それだけに、演奏者の解釈が、あるいは無解釈さえ、あらわにされる危険な場所となりうる。

近年のモーツァルトの演奏スタイルをテンポ、表現などで変化しない(不変)・変化する(変化)で表すと、不変>変化となるだろう。当然、ここでいう変化の幅はロマン派などより限定的なのはいうまでもない。そうした基本的なスタイルに拠りながら、音楽の意味を読みとり、微妙な表現にも欠けていない例の代表格は、内田光子女史の演奏だろう(推移部の再現から)。

模範的な演奏のひとつだろう。もうひとつの例をあげておこう。へブラーのモーツァルトは細部まで磨き抜かれた禁欲的ともいえる演奏で定評があった。

しかしわたしは彼女の大きな特徴のひとつに音色の多彩さを見ていた。そう、テンポのみならず、音色の変化こそ音楽を音楽たらしめるものなのである。ここでの彼女のアプローチは期待を裏切らなかった。ただしアレグロ・モルトという指示や、譜面づらから見る限り、もう少し速いテンポが想定されるだろうが。

フォルテとピアノでは音量だけではなく、音色が異なる。それはやはり人間の声の生理からよく理解できる。これはあらゆる音楽でいえることに違いない。

この議論は次の「4」にも繋がるだろう。