共に在ることは存在―ベン・E・キングとジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」
1961年だったらしい。「スタンド・バイ・ミー」が発表された年である。当時、ラジオからよく流れていた。ベン・E・キングの黒人っぽい、熱い歌唱には強く惹かれた。バックの弦の動きも印象深かった。
よくあることだが、大分後になって、ひょっこり頭の中で曲が流れたりする。すると気がついた。あれって、あの時代のポップス大量生産の鋳型だった、黄金の循環コード一発だったんだな。in Cでいうと、C→Am→F→Gの4コード。「花はどこへ行った」とか「プリーズ・ミスター・ポストマン」とかのあれ、である。ベース・ラインもいかにもという感じ。
1986年には同名の映画の主題歌として復活した。今ではそっちで有名だろう。スティーヴン・キング監督による少年たちの冒険の話だ。わたしとしては特に強い印象は残っていない。友だちの絆を象徴する音楽として「スタンド・バイ・ミー」が選ばれたのだろう。

ただ、どんな歌詞だったか。気になって、調べてみた。
スピリチュアルからポップスへ
「スタンド・バイ・ミー」の歌詞については、次のサイト「世界の民謡・童謡『スタンド・バイ・ミー 意味と和訳』」https://www.worldfolksong.com/index.html が秀逸である。是非、参照されたい。
1番の歌詞はこうなる。
夜が訪れ 地は暗く
見えるのは月の光だけ
でも 怖くない 怖くない
あなたがそばに そばにいてくれるだけで
When the night has come and the land is dark
And the moon is the only light we’ll see.
No I won’t be afraid, oh I won’t be afraid,
just as long as you stand, stand by me.
まるでシューマンの『月夜』のようだ。ははんと来た。ダブル・ミーニング的ではないか。
ここでいう「夜」とは「死」を意味するのではないか。だとしたら「あなた」とは神ということになる。こんな連想へと促される理由は、同じ主題は伝統的な黒人霊歌(スピリチュアル)の定番だからである。
死への賛美は19世紀ロマン派の美学のひとつでもあった。死は永遠であり、憧れの対象でもあった。だが新大陸ではちょっと違う。奴隷制度の中で苦しい生活を強いられた者にとっては、死はつらい現実からの解放だったのである。だから祝福するような陽気なマーチング・バンド(ジャズの原型)で葬送を彩ったりもする。
こうしてリフレインが来る。
だから 愛するひとよ 愛するひとよ そばにいて
そばに そばにいて そばにいて
So darlin’, darlin’, stand by me, oh, stand by me
Oh, stand, stand by me, stand by me
ん? 「愛するひと darling 」は神ではないだろう。そうか、これがこの曲の戦略だったのか。「スタンド・バイ・ミー」は黒人の宗教音楽から出発して、ポップス的な恋愛ソングに着地したのではなかったか。50年代後半からポップスはティーン・エイジャー向けの商品となった。その路線への接近である。2番はこうなる。
もし頭上の空が 砕け落ちても
また山が海へ崩れようとも
泣きはしない 泣きはしない 涙は流さない
あなたがそばに そばにいてくれるだけで
If the sky that we look upon should tumble and fall
Or the mountain should crumble to the sea
I won’t cry, I won’t cry no, I won’t shed a tear
Just as long as you stand, stand by me
やっぱりそうだ。「空が落ち」といった旧約聖書的風のいいまわしは、ルーツである宗教音楽をいっそう強く印象づける。当然、比喩的な表現であり、「どんなに大変な事が起きても」といった位の意味だろう。だがありそうもない重大事が起きても、心安らかにさせてくれる存在とは、やはり神ではないか。そして再びリフレインが来る。
スピリチュアルからポップスへの構図があるようだ。
最後のひねり
ところが、間奏のあとでのリフレインで、ちょっとしたひねりが加えられる。ちなみに歌詞が変わるヴァースもリフレインもまったく同じ、あのコード進行である。
だから 愛するひとよ 愛するひとよ そばにいて
さあそばに そばにいて そばにいて
きみが困った時はいつでも ぼくのそばにいてくれないか
おお ぼくのそばに ぼくのそばにいてくれないか
Darlin’, darlin’, stand by me, oh, stand by me
Oh, stand now, stand by me, stand by me
Whenever you’re in trouble won’t you stand by me?
Oh, stand by me, stand by me …
どさくさに紛れて、3行目で「きみが困った時はいつでも」のフレーズが入る。そしてこれまで stand by me は命令形として「(きみに)そばにいて欲しい」だったが、はじめて「きみ you」が主語となる。こうして「ぼく」と「きみ」の立場が逆転する。
「ぼく」が困ったら「きみ」にそばにいて欲しいが、「きみ」が困ったら「ぼく」もきみのそばにいたいというのである。
「スタンド・バイ・ミー」の核心はこの最後のフレーズにあったのかもしれない。前半の2番までは「ぼくにとってきみがどんなに大切な存在か」を歌っていた。だが最後のひねりで「きみにとってもぼくは大切な存在でありたい」という。「ぼくはきみを頼りにしている」から「きみもぼくを頼って欲しい」。
何のことはない「もっと親密になりたい」という回りくどい口説き文句が落ちだったのか。
そのために「夜」をもち出したり、空を落下させたり、山を崩したりしたのか。まあ恋愛の世界の表現では常套句でさえあるかもしれない。言葉遊びのようなトリックや最後のひねりも同様である。
「スタンド・バイ・ミー」は現実
「ぼく」と「きみ」の逆転現象は、元になったであろう黒人霊歌ではありえない。神が人間に救いの手を差し伸べるのであって、逆は無い。そもそも神が「困る」ことはない。救う者と救われる者が同格になることはない。「ぼく」と「きみ」の入れ替わりは、宗教音楽からポップスへの転換を決定的にするかに見える。
ところがポップス化したとしても、出発点となった宗教音楽的なものを想い起こさせるような場合がある。
1974年、ジョン・レノンはニューヨークで「スタンド・バイ・ミー」を録音した。翌年、発表されたアルバム『ロックンロール』の収録曲としてである。同アルバムはビートルズ以前のオールディーズのカヴァー集だった。
実は、当時、ジョンはいわゆる「失われた週末」(1973-5年)の荒れた生活をおくっていた。ヨーコからの意図的な別居を強いられた時期であり、ジョンは「家を追い出された」ともいった。しかし、ヨーコは最終的には元の鞘に収まるまでの冷却期間と考えていたようだ。
彼女は連絡係として、世話役?としてメイ・パンという中国人女性を同行させて、ジョンを巷に放った。この期間、何枚かのアルバムが制作され、多くの旧友を温めた。一緒に暮らしていたメイ・パンとの関係も良好だった。しかしジョンは乱脈を究めた。酒に溺れ、前後不覚で、破滅的な行動を繰り返した。
自分を失い、自暴自棄の状態である。これは「スタンド・バイ・ミー」に戻るなら、「空が 砕け落ち、山が崩れる」とも表現できるありようだっただろう。なるようになれ、すべてどうでもいい。
ある日、とんでもないことをやらかした。トイレにあった生理用品を額に貼って、街中を走り回ったというのである。大顰蹙である。これにはさすがに周りも引いた。メディアもさんざん叩いた。世界が崩壊し、この世から見捨てられたようだった。
そこでヨーコに電話した。事情を話すと、彼女はこともなく、いったという。「それがどうしたの。あなたは誰も傷つけていない」。やった! 彼女がそういってくれるなら、やっていける!
その頃のジョンの心の叫びが「スタンド・バイ・ミー」ではなかったか。「そばにいてほしい!」 。
だからこそ、カヴァー・アルバムをつくるにあたって、特にこの曲が選ばれたのだろう。
歌われた時期の背景から、音楽にバイアスをかけて聴くというのは好きじゃない。だがジョン・レノンの歌唱からは黒人霊歌の魂が聞こえるような気がする。
失われた週末も終わりを迎え、二人は再会した。最後のアルバムの「ウーマン」でジョン・レノンはこう歌った。
「どうか忘れないで、ぼくの人生はきみの手のひらの上にある」。
ヨーコはジョンにとって神だったのかもしれない。「愛するひと darling」と神としての「あなた you」は同じだった。