女性の台頭から男性の没落へ?1―1970年代以降のポピュラー音楽史の一側面

20世紀の後半は激動の時代だった。まるで雪解けがなだれを呼び起こし、社会を呑み込んだようだった。

1950年代に吹き荒れたロックンロール旋風は若者という世代の産声だったように聞こえる。ロックンロール自体は音楽的実質の乏しさからか、すぐに衰退し、ティーン・エイジャー向けの感傷的なポップスの波が押し寄せてきた。

しかしロックンロールのエネルギーはどこかで脈打っていたようだ。60年代になり、ビートルズやローリング・ストーンズ、それにボブ・ディランらが先導したロックの起爆剤となったのは間違いない。65年以降、ロックは驚くべき発展を遂げ、音楽を超えて、若者のライフ・スタイルまでをとり込んだ文化現象となった。大人の常識世界に対するサブカルチャーとして、若者文化は社会の中で確実な地位を占めるに至ったのである。

幼児と成人の中間に位置する「若者」はいわば社会の予備軍であり、永い間「陥没地帯」だったといえるだろう。だが50年代から60年代にかけて彼らの「産声」は「存在」となった。

この歴史的な地殻変動には総合的な要因がはたらいていたのはいうまでもない。ただその牽引力となったもののひとつがロックだったのは間違いない。そして音楽は変動を映し出す鏡ともなった。

70年代は別の「陥没地帯」が産声をあげたかに見える。「女性」という階層である。

女性の解放

1971年、キャロル・キングの記念碑的アルバム『つづれおり』が発表された。その中のヒット曲「イッツ・トゥ・レイト」は、それまでのポップスの世界から一歩踏み出したといわれる。

男と女の微妙な関係が歌われる。二人の関係がすべて自然だったのは以前のこと。今は何かが変わった。でも時間はもとには戻らない。「もう手遅れよ It’s too late」。こうして女性の側から三行半が下されるのである。決定的な何かがあったわけではない。でも、もうだめ。

愛の喜び、失恋の悲しみといった紋切り型の「恋の気分」を歌っていた以前のポップスからの歩み出しである。歩み出したのは女性であり、降り立った場所は現実だった。

こうしてローラ・ニーロ、カーリー・サイモン、ジャニス・イアン、カーラ・ボノフ、さらにはケイト・ブッシュなどの多数の女流シンガー・ソングライターが輩出し、女性の心の襞を綴った。男には思いも寄らぬ世界だったかもしれないが、そこには確かな存在が息づいていた。

女性シンガー・ソングライターの出現は、時代と呼応していた。そして70年代にアメリカを中心に起きた現象は、日本の音楽シーンとも軌を一にしていた。荒井由実、イルカ、五輪真弓、中島みゆき、尾崎亜美などの女性シンガー・ソングライターの輩出がそれを物語る。その背景には時代の流れがあった。

1975年、「わたしつくる人、ぼく食べる人」というハウス食品のインスタント・ラーメンのCMが空前の物議を醸した。これは象徴的だった。これまでずっと「つくる側」に回され、労多く、見返りがほとんど無い影に追いやられていた女性の、積もりに積もった不満の爆発となったのである。

ビジネスが絡んでいただけに、女性の抗議は社会を動かした。その後、CMで「つくる人」はほとんど男側に回された。ビールをうまそうに飲み干すのも、女性が起用されるようになった。こうしたちょっとした動向も、社会の意識を変えていくことになっただろう。

時代はウーマン・リブという女性解放運動の波がうねっており、「女は男のためにあるのではない」などと叫ばれた。

1985年には日本では男女雇用均等法が制定され、労働における男女差別が禁止された。大げさにいえば、有史以来、脈々と続いてきた男中心の男尊女卑的な世界観がひっくり返った。少なくとも、制度的には。

わたしのこれまでの人生はこうした時代の変遷を目の当たりにしてきた。たとえば「女性はかくあるべし」という社会通念においても、10代だった60年代と現在では隔世の感がある。

女性の攻勢

1980年はビデオ時代の幕開けだった。前年「ビデオが現れたら、ラジオのスターはあがったり Video killed the radio star」と歌われ、ヒットした(バングルス「ラジオ・スターの悲劇」)。視覚的要素が重要な時代に入ったのである。すると、これまで「男をよろこばせてたまるか」みたいな風潮だったように見えた女性陣営が、にわかに女性性を武器とした。

視覚的なセクシーさを前面に押し出したのである。この方向性は確実に現在まで続いている。

典型的に、凝縮した形で状況を見せてくれるのが、オリヴィア・ニュートン・ジョンだろう。1975年、ヒット曲「そよ風の誘惑」で、オリヴィアは清純でさわやかなイメージを印象づけた。「力を抜いて、もっとメロウに生きましょう」と歌うのである。

ところが1981年の「フィジカル」のミュージック・ビデオでは、身体にぴったり合ったハイレグのレオタードを着て登場した。

鮮烈なミュージック・ビデオだった。導入はやたらと男性の裸体美を見せつけ、女性をターゲットにしているようだった。そうか、そんな時代なんだ。オリヴィアはエアロビクスのインストラクターよろしく、半裸のおデブさんたちを弄ぶ。そして「肉体でいきましょう Let’s get physical」と繰り返し、「何のことかわかるでしょ You know what I mean」と迫る。最後は見てのお楽しみ。

10週間全米1位。空前の大ヒットである。2015年に来日した時、TVでオリヴィアは「あの時は少し恥ずかしかった」というようなことをいっていた。だが、明らかに、新しい時代へ向けた戦略が図に当たったのである。

セクシー路線への転換はすでに1978年の映画『グリース』で映像化されていた。『グリース』は50年代の2つの名作『ウエストサイド・ストーリー』と『理由なき反抗』のパロディともいえるミュージカルである。前者のアメリカにおける移民の軋轢といった社会問題は高校の不良グループ同士のたあいのない騒動へと解消され、後者からは車のチキン・レースをモロいただいている。しかし、深刻さは皆無の、ドタバタ学園ドラマと化している。

映画にはあるテーマが設定されてる。オリヴィア扮するサンディの「成長」である。仲間やジョン・トラボルタ演じる恋人との関係を通して、サンディは保守的で内気な女性から変身する。

河原での壮絶なカー・レースで恋人が勝利を勝ちとったのを見て、サンディは決心したのか。卒業の打ち上げで、彼女は「脱皮」する。まさにそれまでの自分からの卒業である。下の画像の左から右への変身をご覧あれ。

姿を現したサンディは、ピチピチの皮のパンツとジャケットを決め、古典的ともいえるお下げ髪は最新型のカーリー・ヘアーに、そして挑発的に煙草をくわえている。「もう女の子じゃない。オンナなの」といわんばかり。 それを見たトラボルタは目を丸くし、口あんぐりで、メロメロ。サンディはみずからけしかけ、彼をゲットするのである。

控えめでリードされる淑女から、イケイケで押しまくりの妖女へ、いわば 「待つ女性」から「攻める女」への脱皮である。

一応、映像を観ておこうか。

女性であることのありようはさまざまで、多種多様である。個人の性格の違いもあるし、時代とか社会の影響も大きい。それでも時空を超えた普遍的な「女性的なもの」も想定できるだろう。ただ70年代に女性が台頭してきた国では、必然的に新しい女性像が求められた。

これまでの社会では女性は男の影に置かれた存在だった。男が考える、男が望む女が社会での一般的な女性像だったともいえよう。その意味で女性は「見えない」階層だった。ところが、今や、みずからの存在を主張し、本来の姿を現したのである。これは有史以来の出来事だっただろう。

『グリース』はそんな時代の曲がり角を面白おかしく描き出したのではなかったか。

*「フィジカル」のDVD は入手困難なようなので、『グリース』だけを紹介しておきます。