「パフ」は誰?何の歌?―昔、PPMというバンドがいました

60年代、ギターを弾いて歌うのが大流行だった。わたしだって後れをとらなかった。最初に弾いたのは「花はどこへ行ったの」。コードはC、Am、F、Gの4つ、ピーター・ポール・アンド・マリー(以下PPM)のヴァージョンが参考になった。

日本では、PPMは圧倒的な音楽性に裏づけられ、フォークを先導していた。戦争に対して、人々の意識に対して、プロテストする音楽だった。ボブ・ディランより、日本ではPPMだった。わたしが一番よく覚えているのは、ヒット・チャートでかなりのところまで行った「パフ」なのだが、後でよく見ると、意味深長な曲でもある。

パフというドラゴンと、少年ジャッキー・ペイパーがいました。二人は仲良し。ジャッキーはよくパフが棲むホナリー島へ遊びに通ったものでした。でも、いつからか、ジャッキーは行かなくなり、パフは寂しく、自分の洞窟へ帰っていくのでした。

まさかドラゴンの話じゃないだろう。で、ウラの意味は? ジャッキーは戦場に行って帰ってこなかったという反戦歌か? 作詞家のピーター・ヤロウ(PPMの1人)の答えは「ノー」(作者の見解が絶対ではないが)。そこでこんな解釈がある。1)『トイ・ストーリー』的解釈。ドラゴンのおもちゃは子供が成長すると、捨てられる。2)子供は成長するにつれて「ドラゴン=怖い」という常識を身につける。つまりわたしたちをがんじがらめにする既成概念への警告の曲。まあいろいろあっていい。

で、わたしは「ドラゴンの命は永遠だけど、ジャッキーはそうじゃない」というフレーズに注目した。これは人生の終末にある人と、人生の最初にある人では、時間の長さが違うことをいってるんじゃないか。つまり子供は毎日がフル回転なのに、老人は同じことの繰り返し。日ごと新しい発見の子供と、毎日がただの日常の老人では、当然、時間感覚が違う。

だからおじいちゃん・おばあちゃんのところへよく遊びに行った孫も、成長すると、いつか行かなくなる。つまり「パフ」は子供の成長をいってるんじゃないか。おじいちゃんは甘やかしてくれるけど、やはり仲間同士の世界がよくなる。人間は同じ世代の人々と最もよく理解し合えるんだ。

世代間には越えがたい断絶がある。年寄りが「近頃の若いもんは~」といい出す時、もうそれが始まっているのかも。人間社会には、実際上、大人と子供とか、男と女とか、はたまた人種とか、いろんな壁があるともいえよう。たとえば日本でいう元服、あるいは世界中の民族で見られるイニシエーションの儀式は、子供世界から大人世界への通過儀礼なのだろう。

だからパフのテーマは「世代の断絶」ではないかと読める。ディランの「時代は変わる」(1964年)など、60年代は世代間の価値観の軋轢が、時代を動かしていた。「パフ」もその共鳴なのかもしれない。

逆にいえば、世代を超えて、「人間として」関係をもてるのは素晴らしい。音楽はそんな奇跡を可能にしてくれるんじゃないかな。