「見知らぬ国」の憧れは不安とともに―シューマン『子供の情景』第1曲
シューマンの代表作『幻想曲ハ長調』作品17を献呈されたリストは、同封された『子供の情景』がお気に入りだったとか。易しいピアノ小品が大ヴィルトゥオーゾの心を動かしたとは。リストの音楽的見識眼の確かさと、曲の魅力を余すところなく伝えるエピソードといえるだろう。
13曲から成る曲集の第1曲は「見知らぬ国と人々」。未知の世界の入り口に立つ冒頭にふさわしい音楽である。
まず気になるのが、第1小節目の2拍目、バスがC♯になるところ。こんなのあり? ハーモニーは減七の和音(コードでいうとディミニッシュ7)という、マイナー・コードよりもっと影の濃い和音である。古典的な和声法では、ドッペル・ドミナントといい、普通はフレーズやセクションの終止部分の締めで使われる。ところがここではのっけから出てくる。
シューマンが欲しかったのは、終止へ導くという「構成的」な古典的機能よりも、暗い影を落とすという「表現的」な意味だったのだろう。これがロマン的ということか。一瞬、ほの暗い影がよぎり、心がふるえる。
その「ふるえ」は3度目に繰り返される時の「普通の」和声法と比べると歴然とする。譜例2段目赤で示したGのコード(第1転回形)では、不安はとり払われる。
しかも旋律線を見ていただきたい。減七の和音のところが、フレーズでもっとも高い音G。音は高くなると、強くなりがち。ということは、最初の音より次の弱拍の方にアクセントが生じやすい。そのアクセントは影の濃い和音によっても強調される。冒頭の2音の6度の跳躍は希望が膨らむようでもある。でも音楽の流れは決してスムーズではない。ルンルンといった足どりではないようだ。
いや、こういった方がいいかな。希望と不安がない交ぜになっている。
見知らぬ国への入り口は、憧れとともに、不安とためらいがあるということだろう。人間心理の深い理解者であるシューマンが描いたのはまさにそれだったのだろう。だからこの曲をあまりそっけない、速いテンポで演奏するはどうなのだろう。希望と不安に揺れる繊細な心情を表現できればいいのだが。
それから曲の終わり方も気になる(譜例下)、終止のところで、内声が6度跳躍を2度繰り返す、譜例下では赤で 示してある。なんか変な感じ。でも、これ曲の冒頭じゃないかな。最初の旋律の動きの2音とまったく同じだから。それを最後の小節でそっと出す。
第1曲は見知らぬ国へ歩み出す曲。その最後のところで、新しい世界に踏み入れたその第一歩を、もう一度、振り返っているのかも。最後の小節に安定的なバスのG(主音) はもはや出ない。すでに心は未来に向かっている。でも眼差しは過去を振り返っているのか。こんなちょっとしたところも、憎いな、シューマン。