沈黙の音が語ったもの―「サウンド・オヴ・サイレンス」

昔、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オヴ・サイレンス」の歌詞を見た時、何をいっているのかさっぱりわからなかった。1966年だから、中学生の時か。今なら少しはわかるかな。

有名な出だしHello darkness, my old friend I’ve come to talk with you again(やぁ、暗闇くん。ぼくの親愛なる友、またきみと話しに来た)は、どういう意味か。

暗闇は「実在しないもの」で、しかも「わたしの旧友」であるものとは、「自分自身」にほかならないだろう。話をするとは言葉のキャッチボールをすること。そして自分自身との言葉の投げ合いとは「思考すること」でしかない。わたしの中で思考が始まった。

その理由は、あるvision がうごめき出したから。そいつは静寂の中で声なき声をあげているようだ。visionの原意は「見ること」。まとめると、こうなるか。何かが見えるようになり、わたしの中で思考が紡ぎ出された。

続くヴァースは主人公が見たもの・考えたことの軌跡だろう。2番はネオンの光がまたたく巷の人混みと、そこにたたずむことの孤独。3番はそのネオンに照らし出された猥雑な世間のありよう。

「みんな話しているけど喋っていない、聞いているけど、聴いていないPeople talking without speaking People hearing without listening」は、彼らの無意味な言葉、思考、営みか。
彼らに、おそらくは心の中で、言葉を投げかける。「愚か者たちfools」、そんな空虚な営みは癌のようにはびこり、人を、心を蝕んでいくのだ、と。これが4番。

でも人々はネオンの偶像を祭り上げ、わたしの言葉・思いは空しいだけ。しかし、ほかならぬネオンの光が照らし出す。「預言者の言葉は、地下鉄の壁や住居の廊下に書かれているThe words of the prophets are written on the subway walls And tenement halls」。5番。

第1ヴァースの「見ること vision」を「目が開かれた」ととると、いったん開かれた目は、もはや見なくなることはない。地下鉄や住居というありふれたところに、預言者の言葉=神託、真理が映し出されているのを。それは沈黙のうちに潜んでいる。これは目覚めの歌といえるだろう。大衆のただ中に訪れた目覚め。それはポール・サイモンという個人のみならず、60年代の若者という世代に去来したものだったのかもしれない。それがサブカルチャーを動かしたのかもしれない。

いずれにしても、こんな詩を前にして、クラシックは高級、ポピュラー音楽は低俗という区別が成り立つだろうか。