シューベルトの自己発見―ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番と「幻想ソナタ」

シューベルトは偉大なるベートーヴェンにアンビヴァレントな感情をもっていたようだ。畏れにも似た敬意を抱きながら、批判的でもあったという。モーツァルトに対するひたすらの愛と違って、もっと複雑な思いがあった。

とはいえベートーヴェンから受けた影響は圧倒的だったのも事実である。もっとも端的なのは、次のような例だろう。上がベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1804)、下がシューベルトのピアノ・ソナタ第18番ト長調「幻想」D.894(1826)である。一目瞭然、譜面づらがそっくりだ。


ピアノによるたっぷりとした響きから始まり、同音反復が多い楽想も似ている。調性も同じト長調。ベートーヴェンではこの後、オーケストラが、突然、驚くべきロ長調で入って来る。シューベルトのソナタでもロ短調をとおして(つまり、より穏健な方法で)ロ長調に触れる。

しかし、ベートーヴェンから受けた衝撃は、そうした表面的な類似点にとどまらない。考えてもみていただきたい。協奏曲というのは、もっとも派手で、華麗な名人芸を聴かせる外向きの音楽である。それをこんな弱音で始めるとは。これではまるで独奏ピアノの独り言のようではないか。ほとんど開始ともいえない曲の始め方。ここにベートーヴェンの革新的な創意があり、シューベルトはほとんど自己発見ともいえる感銘を受けたに違いない。囁きで始まるような音楽があっていい。「幻想」ソナタの冒頭には pp が指示された。

シューベルトの多くの曲が「弱音から開始」されるのに気づかないだろうか。もちろん例外もあるが、「未完成」「グレート」交響曲、第5、第6ミサ曲、弦楽五重奏曲ハ長調、最後の変ロ長調ソナタ等々……枚挙にいとまがない。それは「いつ始まったかわからない開始」「音楽の予感」「遠くからの密やかな呼びかけ」のような、きわめてシューベルト的な開始法となった。弱音からの開始の波紋は、ブルックナーはいうまでもなく、ラヴェルのような作曲家にまで及んでいるようだ。その源泉はベートーヴェンの第4協奏曲だったのかもしれない。

さらにそこから流れ出る音楽はアレグロ・モデラートである。モデラート寄りのアレグロ。ソナタではシューベルトはモデラートの世界により深く入り込んだ(モルト・モデラート・エ・カンタービレ)。速いのでも遅いのでもない。中庸のテンポで揺れながら、歌が紡ぎ出される。これこそシューベルト的世界であり、その入り口にベートーヴェンがいたのではなかったか。


シューベルトがベートーヴェンに大きな影響を受けたのは事実である。ただ批判的だったとは? 二つの楽譜を見比べてみよう。ベートーヴェンの方は、最初の左手の和音が下からG・H・D・Gとなっている。これは彼が好んだ低音で和音を密集させる書き方である。しかし、シューベルトは我慢できなかったのだろう。これでは響きが混濁して、不透明になってしまい、「音楽的」じゃない。もっともだ。だから彼は左手を下のように書き直し、音を開離させた。圧倒的な影響を受けながら、響きに対するみずからの「あるべき」を貫き、自分を失わなかったということだろう。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調第1楽章冒頭

シューベルト ピアノ・ソナタト長調「幻想」冒頭