シューベルト「ああ、40番!」―交響曲第5番、第7番『未完成』

モーツァルトの交響曲第40番がもたらした衝撃はシューベルトを直撃したようだ。ドキュメントの中にそんな証言があるというのではない。しかしどんな記録よりも、交響曲第5番変ロ長調D.485のスコアが雄弁に物語る。

シューベルトの5番目の交響曲は1816年、作曲者19歳の時に書かれた。調性はモーツァルトのト短調と同じ♭2つの長調である変ロ長調(つまりト短調の平行調)。シューベルトの交響曲では例外的にトランペットとティンパニを欠いた室内楽的なスコアも『40番』的である。第3楽章のト短調メヌエットで、彼はモーツァルトに最接近するかに見える。しかし決定的なのは第1楽章、2拍子のアレグロである。

木管から射し込む光の中を駆けぬけるようにして、音楽は始まる。すぐに第1ヴァイオリンに第1主題が出る。バスが1小節遅れで、呼応する。まあ、それはいい。問題は主題が再びとりあげられる時である。その時はすぐにやってくる。21小節目から引用しよう。

pp のところに注目。主題が還ってくる。しかし、何と、今度は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのオクターヴで主題が奏されるのである。これがやりたかったに違いない。シューベルトは『40番』みたいなことがしたかった。結果として、ヴィオラを分奏させるところまで、モーツァルトと同じになってしまった。

第1主題はこうして提示部で2回出る。曲はソナタ形式だから、次に第2主題が来るが、やはりヴァイオリンのオクターヴ・ユニゾンである。ここまで来ると、『40番』がいかに深くシューベルトに痕跡を残したかが思い知らされる。さらに、よく見ると、第2主題自体が『40番』によく似ている。まず弦を主体とした8小節に、管を主体とした8小節が続くという構成もそっくり(モーツァルトの方が弦と管の交替はいっそう精妙であるが)。

第1主題は展開部の後、当然、再現される。こうなる。

珍しく、再現は主調の変ロ長調ではなく、下属調の変ホ長調である。それはともかく、驚くべきは、またまたオクターヴ・ユニゾンなのである。この後の繰り返しも同じ。確認しておけば、主題は第1楽章で4回出る。そのうち最初だけが第1ヴァイオリンのみで、ほかの3回はすべて第1・第2ヴァイオリンのオクターヴとなる。どうしてこういうことになったのか。なぜ1回目だけ変えたのか?

ひとつの解釈を提示しておこう。シューベルトは『40番』のオクターヴ・ユニゾンに圧倒的な感銘を受けた。それを『5番』で使いたくてたまらなかった。そして実際にそうしたのだが、はたと気づいたのではないか。曲の冒頭にまで使ったら『40番』そっくりすぎて、ただの真似になってしまわないか。パクリと受けとられないか。確かにモーツァルトの影響は甚大だったが、シューベルトにはプライドもあった。こうして最初の1回目の提示は第1ヴァイオリンだけに主題を委ねることにしたのだろう。しかし続く3回は、堰を切ったように、やりたかったオクターヴ・ユニゾンが独占するのである。

曲の冒頭でオクターヴ・ユニゾンを使わなかったことは、モーツァルトの影響が小さかったことを意味するのではない。むしろ作曲家としての矜持とせめぎ合うところで『40番』が響いていたということにほかなるまい。つまり、影響力の深さを、逆に、証明しているのである。

とはいえ、交響曲第5番の主題が、モーツァルトのあの妖しいまでに愁いを帯びた幽艶な主題と比較できないのも事実だろう。むしろシューベルトとしてもとりたてて特徴のない、平凡とさえいえる主題である。オクターヴ・ユニゾンで奏される必然性があったかどうか。「使いたい」という気持ちが先走っていないかどうか。しかし6年後の第7番『未完成』では事情はまったく違う。

第1楽章第2主題、ロ短調の和音の爆発に続いて出る、あの優しい主題。シューベルトに深く染み込んだ踊りのリズムに揺れながら、チェロがト長調の「夢」を語り出すかのようである。そして、ヴァイオリンがそれを引き継ぐ。そこでシューベルトはここぞとばかりにオクターヴ・ユニゾンを投入した。

その効果を理解するために、たとえば「会話」を思い浮かべるといいかもしれない。普通の言葉のやりとりの中で、「それで、実は……」などといって、声を落とす時がある。声色はいっそう深く、思いがこもり、切実さ、せつなさを増すに違いない。あのオクターヴ・ユニゾンはそういう効果をもっている。だから、第1・第2ヴァイオリンがオクターヴで 入ってくるところは「楽器のただの交替」以上のものがある。そこにこめられた魂を感じることなしに「スコアの良い読み手」にはなれないだろう。もちろん会話においても「良い聞き手」にはなれそうもない。たとえば次のショルティの演奏はそのことをよくわかっており、彼が「豪腕」?といったイメージでだけ語られるべき指揮者ではないことを如実に示している。

オクターヴ・ユニゾンは心の奥への扉を開く。『未完成』の例は『40番』を真に継承し、ロマン派への道を拓く頁となるだろう。