ピアノの音って、こんなに美しい―シューベルト 即興曲ハ短調D.899-1

シューベルティアーデと呼ばれる音楽の集いで、シューベルトはこんな感じでピアノに興じたのではなかったか……そう思わせる「即興曲」がたくさんある。その中でも、とりわけハ短調D.899ー1は、気の赴くままに楽興の時を奏でるような趣が強い。ベートーヴェン的な「形式」や「展開」よりも、思いつくままにひとつの旋律ににいろんな意匠を凝らしていくような音楽。

まず冒頭、とつとつと主題が歌い出され、変イ長調へ転じた後、三連符のリズムに乗る。まるで即興の海原に乗り出すかのように。

この旋律が少しずつ即興的に変化していくさまが素晴らしい。少なくともこの後6回反復されるが、何かを変えないと、音楽が単調に陥るのは目に見えている。そこで何を変えるか? どうメロディーを調理するか? 名コックの腕の見せどころである。

まずシューベルトはもとの旋律では単音だった右手をオクターヴにした。音をオクターヴで重ねることにより、音はより太くなり、音色が変わる。この変化は調性の変化をも呼び起こす。音楽は変ハ長調というあまりなじみのない領域へ迷い込む。

オクターヴによって影を帯びたような旋律は変イ短調をさまよい、またもとの変イ長調に戻る。

しかし中域では重みを増したオクターヴが、高域に移されると、キラキラ光り、えもいわれぬ美しさ。最後にまた単音に戻ると、シングル・トーンの美しさがきわだつ。ピアノの音ってこんなに美しかったんだ!

ところが今度はふいに中域の単音で旋律が出る。この音域のピアノは独自の強靱な音が特徴。そうだピアノは音域で音色が異なる。明らかに、シューベルトはピアノという楽器の特性をフルに活用しようとしている。

さらに中域の単音はオクターヴに強化される。指示はフォルテ。ひとつの山場が築かれる。

オクターヴの深い音色のまま、変イ短調をとおって、もとの変イ長調に戻る。

音楽は単音に戻り、ほっとひと息つく。しかし最後の切り札に、シューベルトは旋律を6度で重ねた。これまで単音とオクターヴだけだったのに、はじめての6度、3度の転回形であり、甘美だが、影のある詠嘆調の響きである。わずか1小節あまりなのに、何と心に染みることか。

この即興曲でのシューベルトの戦略は、1)単音-オクターヴ、あるいは6度といった旋律の「書法」の区別、2)「音域」の違い」、および1と2の組み合わせによって、ピアノにおける音色の変化を追求することにあっただろう。さらにそこに転調が加わる。もっといえば、アーティキュレーションの差異も、旋律の表情の変化を描き分けることになる。

こうしてピアノという楽器から最大の多様性を引き出すための書法が駆使される。たとえば、もしオーケストラなら、楽器を替えればよかったかもしれない(その究極の作品が『ボレロ』)。しかし、ピアノ単体で変化を追求するならば、音源・楽器の区別を排したところで、純粋な音楽的手段によって可能性を究めるしかない。それはまたピアノ音楽の魅力の発見にほかならないだろう。