モーツァルト短調作品の心臓部を「読む」4―ピアノ協奏曲ニ短調K.466と「モーツァルト的自由とは」

ピアノ・ソナタ ハ短調K.457の再現部におけるポイントの工夫はこうだった。ハ短調で第1主題が戻ってきて、突然、変二長調が閃く。一瞬、光が浮かび上がるが、次の瞬間、主調の闇へ引き戻される(心臓部を「読む」3)。

宙に浮いたような変ニ長調はむしろハ短調への帰還の不可避性をいっそう印象づけるかのようだった。

束の間の「逸脱」、あるいは「夢」が現実をさらにどす黒くする。この構図を一瞬の「ためらい」あるいは「逡巡」とその「断念」「決別」のように感じたとしても、あながち的外れともいえないだろう。主調への再突入にはある「決意」「覚悟」をにじませもする(意志的なドッペルドミナントの用法が示唆する)。同じ構図がピアノ協奏曲ニ短調K.466にも見えるかもしれない。

協奏曲での初めての短調作品

いわゆる古典派の時代は宮廷や教会から音楽が解放され、市民の生活に解放された時代だった。音楽が流出した場所は家庭と公開演奏会(コンサート)となった。前者はパーソナルな、後者はパブリックな場といえる。そこでは音楽は何よりもアマチュアの娯楽だった。

だから初期古典派などは長調の曲の比率が圧倒的に多い。特に協奏曲などは楽器が紡ぎ出す音の遊びの感覚が強い。深刻なものからは遠く、純粋にエンターテイメントなのである。

しかし、こういうと、直ちに反論があるかもしれない。モーツァルトのコンチェルトでも、ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271、第18番変ロ長調K.456、第22番変ロ長調K.482、それにヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364など、第2楽章はいずれも短調ではないか、と。そのとおりである。

これらはモーツァルトの音楽の中でも独自の情趣を湛えた曲たちであり、特に好む方も多いだろう。なぜ基本的に外向けの音楽である協奏曲に、暗鬱な雰囲気が濃厚に立ちこめる、こうした楽章が書かれたのか。

モデルがあったからだろう。モーツァルトが幼少期から深く関わったバロック後期のイタリア・オペラである。オペラ・セリアと呼ばれる悲劇的なオペラでは、悲歌ともいうべきアリアを欠かすことはできない。これは悲しみ表現の「型」とみなすべきである。ロマン派的な個人的な心情の吐露というよりは、悲劇的な状況に置かれた人物が抱く感情の類型的で定型的な表現なのである。

協奏曲における短調の緩徐楽章は、いわば悲劇的アリアの器楽版といえよう。そこでのヒーロー、あるいはヒロインは、いうまでもなく独奏楽器である。これらはコンチェルトとオペラとの親近性を示す具体的な例といえるだろう。

ところがニ短調ピアノ協奏曲K.466で初めて短調のコンチェルトが生まれた。よくいわれるように、最後はニ長調で華々しく曲を締める。ジャンルへの配慮か、ある種の妥協だったのか。ともかく、モーツァルトにとっても、歴史にとっても、新しい一歩であったことは間違いない。

K.466版「逡巡からの帰還」

再現部で主題が戻ってくる。短調作品だから、当然、暗い再開である。ところが、突然、予想だにしなかった一瞬の「離反」が生じる。だが、そこから一気に本流へ突き落とされる。確認しておくと、この構図を調性、あるいは短調と長調の図式で描いたのがハ短調ソナタK.457だった。

しかし、ニ短調ピアノ協奏曲K.466では、同じ構図を異なる方法論で実現したように見える。

譜例で示したのは、第1主題が再現し、盛り上がって到達したパウゼ(四分休符+二分休符)の後である。第2主題が期待されるところだが、ここでモーツァルトは「偽の第2主題」ともいうべき楽想を出し、独奏楽器による「真の第2主題」(第303小節以降)への繋ぎとした。これについては詳しい説明が必要だろうが、今回は割愛するしかない。

いすれにしても、この「繋ぎ」の部分に、提示部にはなかった4小節(譜例 赤枠)が挿入されるのである。ちなみに、ハ短調ソナタK.457の変二長調への逸脱も4小節だった。

楽譜をご覧いただきたい。ピアノの左手はしっかり拍を刻み、最後(第298小節)の4拍目のGisでドッペルドミナントからドミナントへ引き入れる。それに対して、右手のリズムは弱拍が強調され、シンコペーションで揺れ、よろめくようだ。

規則的な拍節とそこからずれた不規則な刻みが同時進行することで、音楽の流れに抗するようなぎくしゃくした動きが生まれる。

これは意図的だったことがわかる。なぜならこのリズム的な曖昧さは、次に解消されるからである。しかもドミナントが確立されてから、シンコペーションは十六分音符のパッセージへと溶解し、音楽がスムーズに流れ出すだけではない。反復される音型の単位が1小節(×2)から1/2小節(×3)へと圧縮されるのである(譜例 赤)。なお後者のフレーズは前者の後半から導き出され、両者は重複して接合されている。ここで何が生じるか?


「リズム的曖昧さと不安定」→「安定と動き」→「加速」ともいえる一連の運動が生まれるのである。とまどうように揺れたシンコペーションは、意を決したように、短調の第2主題を待ち受ける休符へと流れ込むのである。

ビルソンのいわゆるピリオド楽器による演奏で確認しておこうか(再現部から)。指揮とオーケストラはガーディナー/イギリス・バロック・ソロイスツ。

つまりハ短調ソナタK.457において調性で表現したことを、ニ短調協奏曲K.466ではリズム法で実現したのである。当然、モーツァルトは意識していたに違いない。

モーツァルトの自由

ここでまたあの大先生がいかめしく登場するかもしれない。「加速」だって?。「モーツァルトにロマン派的なルバートなど、とんでもない」。

確かにそうだろう。だがモーツァルトは「ルバート」について次のように書いている。

……ぼくは顔を歪めたりはしないけど、それでいて表情豊かに弾くことができます。―中略― それにぼくは常にテンポを正確にキープします。そのことをみんな不思議がるのですが、それはただ彼らには信じられないからです。左手は厳格なテンポで弾き続けることしか知らないのに、アダージョでテンポ・ルバートできることをが信じられないのです。彼らにとってはいつも左手は右手につられてしまうのです。

1777年10月23-25日付けのアウブスブルクからの手紙より

テンポ・ルバートの原意は「盗まれたテンポ」であり、もとはある音符の長さをほんの少し「盗み」、ほかの音符にあてて、つじつまを合わせるといった意味だった。モーツァルトの書き方は「施しをする時は右手のすることを左手に知らせてはならない」(『マタイによる福音書』第6章節)を模したようだ。善行は見せびらかすなというのである。テンポの揺れもやたらと表面化すべきではない。

だが時代を経て、ルバートは「自由なテンポで」といったニュアンスを帯びることになる。

確かに、すべての音符は小節線で表される拍節構造の中に音価が割りあてられてはいる。とはいえ、機械的に等価というわけではない。音楽の音は生きており、方向性をもっているからである。そのエネルギーを惹き起こすのが拍子なのだが、音符は小節内の拍の循環する運動のうちで息づいている。ここが難しいところだ。はっきり書くとやりすぎが起きる。

だが敢えて書けば、拍子は音楽に規則性をもたらすのだが、それはまた微妙な不規則性を感じさせる基盤となり、根拠とさえなりうる。規則がなければ不規則も無いのである。テンポが自由に動き出すロマン派ともなると、基準があやふやになり、この微妙な均衡関係そのものが崩れてしまう。

だから上述したK.466での「ためらい」→「運動」→「加速」は、厳格なテンポと拍子の中でも「感じられる」のである。あるいは感じられるように演奏すべきなのである。それが音楽だからである。矛盾するようだが、規則性の中でこそ、生命が息づく。

実はモーツァルトではフレーズやリズムのこういう伸縮が決定的な構成要素となっており、彼の個人様式とさえいえるだろう。だからモーツァルトの音楽はよくあるマーチやワルツのような単純な反復に堕しない躍動を帯びるのである。

詳細な検証が必要だが、音楽にとって決定的ともいえるこうした要素をモーツァルトが特に意識し出したのは、1774年(18歳)の頃ではないかとわたしは見ている。彼は「無意識の天才」などではなかった。

もう一度いっておこう。規則のうちに戯れる自由にモーツァルトの真髄がある。

最近、あるYouTubeを見ていてはっとさせられた。日本に住むフランス人女性の動画なのだが、日本は暗黙の規則が多く、他人の目を見にしすぎて、拘束されているようで、不自由だといわれることがある。ゴミを捨ててはならないし、順番に並ばなければならない。人が集まるところでは、静かにしなければ。

しかし彼女はいう。「だからこそ日本に自由を感じる」と。これこそモーツァルト的自由、あるいは真の自由ではないか。「自己」の野放図の発散が自由なのではない。