わたしは誰?―60年代のボブ・ディラン3

タイトルからも明らかなように『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』は方向転換のアルバムだった。悪をやっつける善の権化たるボブ・ディランはいない。

最後を飾る「哀しきベイブ」ではこう歌われている、「窓から出てくれ。おれはきみが欲しい人間でも、必要な人間でもない。きみが探しているのはいつも強い人間だ。弱い男なんかじゃない。きみが正しかろうと、間違っていようと、いつも守ってくれるやつ。どんなドアも開けてくれるやつ。違う、違う、違う。ベイビー、きみが探しているのはおれじゃない」。

一見、男女の葛藤を歌っているかに見える。しかしこれまでのディランの歩みを見れば、必然的に、拡大解釈に促される。想い起こせば、第2アルバム『フリーホイーリン』の「くよくよするなよ」では、女性の愛に応えられないしょうもない男が歌われていた。若者のヒーローに祭り上げられた男の、一人の女性に対するふがいなさを露呈していたのである。しかしこの「しょうもない」「ふがいなさ」は実はディランの真実でもあった。「おれはヒーローなんかじゃない」。

ひとことでいえば、これは「戦争の親玉」のディランから「くよくよするなよ」のディランへの転換だった。神のように、絶対の物差しで善と悪を峻別するのではない。なぜなら完全な善人でもないし、時に弱い人間だから。だから「哀しきベイブ」では、おれはあんたの偶像なんかじゃないといい捨てるのである。対象は恋人のようであって、ディランにヒーローを求めるファン全体に対してでもあるだろう。

当時は歌に隠された意味は膨張した人気にかき消されていたかもしれない。だが1965年の伝説のニューポート・フェスティヴァルで事は起きる。エレクトリック・ギターを携えて登場したディランのバンドは、けたたましい電化サウンドで、アコースティックなフォークを一掃してしまった。聴衆からはブーイングの嵐。やむなく演奏を止め、いったんステージを降りたディランは、PPMのピーター・ヤロウの説得を受け、再び生ギターを抱えて聴衆の前に現れた。そして「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」を歌ったのである。「すべては終わった」。ディランの目には涙があったという。

「真面目な」ディランの信奉者は裏切りを感じた。軽薄で商業的なロックンロールに身を投じるとは。預言者どころか、ただの人気とりと金の亡者だったのか。コンサートでは「ユダ!」という罵声が飛んだ。偶像への愛と尊敬は憎悪と敵意、それに軽蔑に変わった。それでもディランはみずからの信念を貫いた。嘘の自分より、真実の自分でいたい、というかのように。

真実の自分?

ところがその「真実の自分」というのが厄介だった。どこかに存在するという本当の自分なんて「青い鳥」ではあるまいか。実は「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」は、第5アルバム『ブリンギング・オール・バック・ホーム』(1965年)の最後を飾る曲だった。ディランの転向をさらに一歩推し進めるアルバムだった。音楽的にはロックンロールへの逆行ではなく、新しい音楽、ビートルズが先導する「ロック」を模索していた。

『ブリンギング・オール・バック・ホーム』はA面がエレクトリック・サイド、B面がアコースティック・サイドで構成され、サウンド的には最初期と次の段階を中継する地点に位置づけられる。しかし歌詞の世界は初期のメッセージ性はない。というよりほとんど脈略のない意味不明の言葉が延々と続く。たとえば「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー」にしても、登場するのは「銃を手にした孤児」「通りを行く聖者」「素人の画家」「船酔いの船員たち」等々……といった具合。そうした変幻自在のイメージが「すべては終わった」というリフレインに流れ込む。まるで固定観念のように。

しかし、よくわからないということは、何とでも解釈できることでもある。明確なメッセージを排していることは戦略となっており、ディランの立脚点をぼかす。むしろ音楽的興味はサウンドに向けられることになる。このアルバムがこれまでで最高のビルボード6位にまで上ったことは、音楽におけるサウンドの重要性を物語ってもいるといえよう。「かっこいい」サウンドと単純な構成、それに複雑な歌詞が微妙にバランスするという独自の音楽が生まれる。

それでも示唆的なポイントがある。「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」の最後のヴァースには「もうひとつのマッチを擦れ、新たな始まりだ」とある。終わりは始まりでもあるのか。

「マギーズ・ファーム」もさまざまに解釈される。しかし、文字どおり、ただ「マギーの農場で働きたくない」のだとしたらどうか。マギーの農場には、彼女の兄弟がいて、両親がいる。ファミリーはどこかファンの集団に似ていないか。マギーは床を拭けという。兄弟は小銭をやるという。父親は葉巻をくゆらせ、ガードが高い。母親は道徳に厳しいが、自分は年齢を偽っている。スターは彼らに君臨する王なんかじゃない。実はこきつかわれる使用人なんだ。しかも肉体労働だけじゃない。精神的にも束縛される。だからマギーの農場で働きたくない。

確かに音楽ビジネス界との軋轢という見方も可能だろう。「マギーの農場」は何にでも置き換え可能なのである。しかしこの時期であるだけに、スターとファンの関係を見たくなる。面白いのは、彼らの人気を獲得し、保つことは、彼らのいいなりになることだという構図であり、そうした感じ方である。華やかな音楽活動が農場での仕事と等しいというのである。スターに自由などない。だったら柵で囲まれた農場など、出ればいい。

結果として『ブリンギング・オール・バック・ホーム』はいっそう広い、より大きな聴衆を獲得することになる。

わたしはただの音楽家

アルバム最大のヒット曲は「ミスター・タンブリン・マン」であり、多くのカヴァーも生んだ。詩はこれまた難解である。しかし幻想的な言葉の一言一句を秤にかけるべきでもあるまい。あるいは「麻薬の歌」とひっくるめるのも、何もいっていないのと同じだろう。「ミューズにインスピレーションを求める歌手の祈り」という解釈もある。宗教的なものを見る向きもある。だがやはりこの時期のある種のアイデンティティ・クライシスの状況からの視点が必要ではないか。

「ミスター・タンブリンマン」のリフレインは次のようになる。幻想の霧の中でくっきり浮かび上がるフレーズである。

おい、ミスター・タンブリン・マン
おれに一曲歌ってくれ
眠くはないし 行くあてもない

おい、ミスター・タンブリン・マン
おれに一曲歌ってくれ
チンジャラ騒がしい朝 きみについて行くよ

タンブリン・マンは音楽家、それも高尚な芸術家というより、素朴な楽士とみなすべきだろう。「眠くない」というのは「朝」なのだから当たり前。それはまた始まりの時でもある。かつての帝国が砂と化した朝、わたしは目覚めた(第1ヴァース)。そこから何やら壮大な幻想への旅立ちの歌のようだ。わたしはどこへでもきみの後をついて行く……。

「ミスター・タンブリン・マン」とは、こういう詩でよくある「自己の投影」ではあるまいか。つまり自分自身に向けた言葉ではあるまいか。みずからの中の音楽家に語りかけ、あんたについて行くという。

おまえ(わたし)はオピニオン・リーダーでも、時代の寵児でも、教祖でもない。ただのしがない音楽家だ。時代に祭り上げられて自分を見失ってはならない。原点に戻った時、残ったのは音楽家だった。しかしおまえがついて行くべき確かな存在なのだ。なぜならそれが「わたし」なのだから。それ以上でも、それ以下でもない。だから自分の内なる音楽についていこう。

「ミスター・タンブリン・マン」は音楽家としてのアイデンティティの再確認ではなかったか。