幸福と不幸が棲む昨日―ビートルズ「イエスタデイ」2

「イエスタデイ」の構造は、歌詞が変わるヴァース verse とサビ middle で表すと、V1V2-M-V3-M-V3となる。数字は1番、2番、3番の歌詞の変化を表す。ヴァースでは次のような内容が歌われる。

 第1ヴァース
昨日は何のトラブルもなかったのに
今日はここにあるようだ
昨日を信じる

 第2ヴァース
突然 わたしはかつての自分の半分にも及ばない
影がわたしを覆っている
昨日は突然やって来た

 第3ヴァース
昨日は愛はたやすいゲームだった
今は身を隠したい
昨日を信じる

日本語訳は文学的表現よりも、詩の内容の事実関係を重視している。時制に注目である。

「昨日」はいつか  

歌詞内容は「昨日はよかった」「今日はよくない」で一貫しているようだ。昨日から今日への日付変更とともに不幸が訪れたのか。ここで問題になるのは第2ヴァースである。最後のラインにあるように「昨日は突然やって来た」(過去形)というのである。よかったはずの昨日に何かが起きたのである。それが不幸の原因だとしたら、同じ昨日のある時点が問題となる。

だからこういう解釈がある。「よかった」のは昨日の午前中までだった。午後になって、突然、不幸がやってきた。これで時制の問題は解決。はい、おしまい。大学の授業でそう教えていた先生がいた。

ある音楽学者は「イエスタデイ」の時制の曖昧さはポピュラー音楽にはよくあることだといった*。

*「ネガティヴに見るなら、単にこれはゆるい構文 slack syntax であり、すべてのポップ・ミュージックの作詞家と共通するものである」。ウィルフリッド・メラーズ『ビートルズ音楽学』柳生すみまろ訳、晶文社、1984年、75-6頁。なお、若干、訳に手を加えさせていただいた。訳者の了解を請う。

だがヴァースで潜在的だった時制の亀裂は、サビで一気に顕在化する。歌詞はこうなる。

どうして彼女は行かなければならなかったのか
知る由もない 彼女はいおうとしなかった
わたしが何か悪いことをいったのだ
今 昨日に焦がれる

「昨日」-「今日」の座標軸が支配する「イエスタデイ」で、彼女の失踪は過去形で、明らかに昨日に属する。その理由を(今日)わたしは知らないし、彼女は(昨日)理由をいわなかった。(昨日)わたしは何か悪いことをいったんだ……。時制を正確に書くとこうなるが、明らかになったのは、突然、降りかかった不幸とは、1)彼女の失踪であり、それは2)昨日起きた、ということである。

ところが最後の1行で、わたしは昨日を想い、焦がれるのだという。想い焦がれるのは現在形で、今である。不幸が襲った昨日に憧れ、切望する long for とは、どういうことか。

不安定なたたずまいが時制の曖昧さと奇妙に調和していたヴァースの音楽に対して、サビの音楽は安定しきっている。Fメジャーの平行調Dマイナーのドミナントから始まり、美しいベース・ラインを辿って、2-5から確実にFに解決する。教科書どおり、いや教科書以上である。この4小節が繰り返され、4+4=8小節。フレーズ構造も模範的。ヴァースの不安定に対するサビの安定のコントラストは見事というしかない。不安は確信に変わったようだ。要するに、「イエスタデイ」の核心はサビだったのである。

ところがその核心部分で時制の亀裂が口を開ける。不幸が起きた昨日に憧れる?

幸福と不幸が棲む昨日

だから、昨日の午前中までは幸せで、午後になって、突然、彼女が去って、不幸になったということになるのか。文法から散文的に現実を解釈すると、正解なのだろう。しかし物事の時系列を記録するだけなら、詩という形式をとる必要はない。そもそものアプローチがどうなのか。詩が属するのはむしろ心理的時制の世界だろう。

われわれはよく「昨日のように憶えている」という比喩的ないい方をすることがある。まさに詩の世界である。ここでいっているのは、遠い過去のことなのだが、一番近い過去である昨日ほどはっきり憶えているといった意味である。明らかに時点がはっきりしないが、記憶がはっきりしている過去を指している。記録と記憶はしばしば一致しない。

これを間違いだというだろうか。精神の異常だというだろうか。遠い過去をはっきりと記憶し、近い過去のことはあやふやということはありうる。それどころか心理的には日常的でさえある。時制の序列と記憶の序列が食い違うのは普通である。記憶に刻まれた深さが深いほど、遠い過去でも昨日のように憶えているからである。「昨日のようだった」というのは、起きた事件の衝撃の大きさを物語ってもいるのである。

幸福だった過去があるとする。わたしの大切な時がそこで費やされた。ところがある時、突然、不幸が降りかかった。その時点はよくわからない。ただそれを昨日のことのようにはっきり憶えているのである。なぜなら決して拭い去れない大事件だったから。すると遠い現在からは、混乱した過去の時系列に、幸福と不幸が同居するかに見える。不幸を浮かび上がらせるのは幸福であり、全体はまた昨日のようでもある。

「イエスタデイ」の時制の曖昧さは、心理的時制としては曖昧でも何でもない。そしていいたいのは、サビの「昨日が恋しい」ということなのである。実は、時制の混乱の根源にあるのは「恋しい」感情の湧出にあり、「曖昧さ」はむしろ思いの真実性の証とさえいる。

昨日とは幸福と不幸が棲む過去なのであり、わたしはそこで何かと遭遇したのである。

去ったのは、母?

かつて新聞でも報道されたが、ポール・マッカートニーは就寝中に「イエスタデイ」が降りてきたという。目が覚めて、彼は必死に書きとめた(あるいは録音したのか)。その時点では歌詞がなかったから、出だしは「スクランブル・エッグ」だったとか。有名な話だが、彼の経歴を紐解くと、興味深い事実に行きあたる。

ポールは、1942年、リヴァプールで、アイルランド系の家庭に生まれた。父親ジェイムズは仕事は不安定だったようだが、ジャズ・バンドでトランペットを吹いたり、ピアノを弾いたりした。母親メアリーは助産婦でもあり、一家の稼ぎ手でもあった。弟にはマイクがいて、音楽好きな家庭だった。1956年、ポールがジョン・レノンと出会う1年前に、マッカートニー家に一大事件が起きた。メアリーが乳がんで死去したのである。

ポール・マッカートニーの自伝の中で、この事件はことさら強調されていないかもしれない。少なくとも、ジョン・レノンの母親ジュリアの交通事故死ほど、人口に膾炙することはないかもしれない。しかしそれがポールに影を落とさなかったことにはならない。母親メアリー mother Mary の存在は、後年、メンバーの葛藤の闇の中で光のように浮かび上がった。名曲『レット・イット・ビー』で呪文を唱える聖母マリア様 Mother Mary である。

そして「イエスタデイ」で「どうして去らなければならなかったのか」と歌われた「彼女」もメアリーのイメージと二重写しにならずにはおかない。なぜなら、状況があまりにも一致するからである。

メアリーはカトリックで、家庭の中で一番信心深かった。彼女が生存していた時期は経済的にも安定していただろう。父親の影響で音楽の雰囲気もあっただろう。「幸福」な図が浮かぶ。そこに降って沸いたように死が襲った。

14歳の少年にはそれがどういう体験だったか。そして23歳の時、当時のイメージが無意識から夢のように映し出されたとしたら、それはどのようなものだったか。おそらくは時系列の正確さなど問題にならなかっただろう。「イエスタデイ」の世界のように、である。