モーツァルト短調作品の心臓部を読む7「到達」―『40番』K.550

まず個人的な話をお許し願いたい。ひとつの「事実」として、個人を超えた音楽とのありようを伝えることになるといいのだが。わたしの実体験である。

18歳で上京し、大学に入学した時、すぐに気づいた。「ここは自分の居場所じゃない」。自分自身を喪失するということ以上の苦しみが、人間にとって、存在するだろうか。みずからの将来像がまったく描けず、何のために、どうやって生きるのかもわからない。生の理由が無い、ほとんど病的な状態に陥った。2年間ぐらいは悪夢のようだった。

そんな時に出会ったのがモーツァルトの『40番』だった。いっきょに、すべてが「視えた」ようだった。「わかる」ということがわかった。モーツァルトの世界が光の中で浮かび上がったのである。

音楽はもともと好きで、ある時から真空管のアンプを自作するようにもなっていた。だから、音楽のいわばハード面を勉強するつもりで、工学系の大学へ進学した。そこに自分の道は無かった。だが音楽のいわばソフト面、つまり音楽そのものに自分の究極の拠りどころを見い出した。

モーツァルトの音楽は空気のようであって、鋼のようでもある。それは生きることと直結し、強靱なアイデンティティの源となった。だからわたしが「視た」ものを説明したいと思わずにはいられなかった。

一種の布教活動のようなものかもしれない。ただ多くの著作はモーツァルトを称えながら、音楽そのものを置き去りにしているようでもあった。何よりも「音楽から」モーツァルトを論じたい。不可能事だが、それが生きる目的となった。

こうして大学を退学し、まったく新たに音楽の勉強を始めた。触ったこともなかったピアノも大変だったが、一番苦労したのはソルフェージュだった。毎日、困難にぶちあたったが、それでも喜びがあった。そこに確かな「自分」がいたからである。

今から50年以上ほど前の話である。その後、音大に入り、研究を続けられた。もう夢のようだが、現在に至るまで、あの時「視た」モーツァルトは少しも変わっていない。これまで決して表現しきれていのはわかっている。しかしわたしを衝き動かしてきた「いいたいこと」は不変なのである。

だからこの小さな思い出話の根底に流れるのは、わたしを導いてきてくれたモーツアルトへの感謝なのである。「ありがとう! モーツァルト!!」。

第2主題の正体

『40番』については本ブログの中でも7回のシリーズでとりあげた。すでにいい尽くされた感があるが、ここでは短調作品の系譜の中で、改めて「読む」ことになる。

短調作品でのモーツァルトの第2主題の扱いは厳しさを増しているようだった。年代が進むにつれて、再現部では、一時的な長調への「逃避」の道も塞がれていくのだった。そして弦楽五重奏曲ト短調K.516では、提示部にさえ短調が影を落とす。第2主題が何とト短調から導入されたのだった。

短調で開始された音楽は平行調へ向かう。これはバロックの組曲などからの「自然」であった。古典派のソナタ形式の提示部もこの流れを汲む。短調はもともと長音階の主音を第6音に移し、ドミナントを形成するために第7音を半音上げるなどした、いわば人工的な音階に基づく。平行調調への推移は臨時記号がとれて、自然へ戻ることを意味する。

だからト短調弦楽五重奏曲におけるト短調の固執は何か不自然にも聴こえる。執拗なもの、強要されたものを感じさせる。

だがソナタ形式のルールに抵触するような弦楽五重奏曲の書法は、交響曲では不可能だろう。なぜなら、内輪の音楽である室内楽に対して、シンフォニーは完全に開かれた音楽だからである。国も、階級も、性も、年齢も、識者と素人の区別も関係なく、すべての人に説得力を持つ音楽でなければならない。その時、普遍的であることの立脚点は形式的規範にある。

ト短調交響曲では形式的区分は明確であり、むしろ模範的である。提示部では第2主題はパウゼの後、規則どうり、変ロ長調で提示される。コンデンスト・スコアで示してみよう。上が提示部、下が再現部である。

何という「主題」だろうか。半音階に色濃く隅どられており、陰影が深い。長調の晴れやかさは希薄である。どこかに嘆きを秘めているようでもある。そもそも半音は第1主題冒頭のあのEs-D-Es-Dの動きから全体に散りばめられており、第1楽章の基調を決定している。ちなみに伝統的な音楽の語彙法からいえば、この音型は「ため息」である。

弦楽五重奏では短調で第2主題を導入していたが、ここでは長調で同じような効果に近づけているようだ。つまり、やや反則だった五重奏に対して、交響曲ではソナタ形式のルールに則っているわけだ。

そして再現部で第2主題はみずからの正体を現す。普通、提示部の第2主題は調を移すだけで再現部に回されるのだが、『40番』ではモーツァルトはそうしなかった。本ブログ内の『40番』3では次の2点を確認した。

1.木管楽器の交替
提示部と再現部で、担当する木管楽器を変える。提示部「クラリネット+ファゴット」から再現部「フルート+オーボエ+ファゴット」となるが、アンサンブルの中心はクラリネット→オーボエにある。暖色系から寒色系への変化である。クラリネットの潤いのある甘美ともいえる音色は、厳しくもくっきりとしたオーボエの音響に移る。

2.バスの半音階進行
譜例229小節目(譜例だと3小節目)のファゴットに注目。バスが、提示部とは異なる、半音階進行となる。これはいわゆる「ラメント・バス」である。主題冒頭の半音階が秘めていたものを暴き出すようだが、隠されていたのはラメントだったか。

そしてさらに加えておこう。

3.ハーモニーの変化
第2主題の2つ目のフレーズ冒頭の付点二分音符(提示部48小節目、再現部231小節目)で、モーツァルトはハーモニーを変えた。和音の種類がわかるように、譜例ではコード・ネイムで示した(青色)。再現部での減七の和音へのチェンジが特に意図されたのは明白である。もとになった提示部におけるヴァイオリンのオクターヴ・ユニゾンの構想が再現部では、後半、崩れているからである。もっとも暗い減七の響きがそれほど欲しかったということである。それはフレーズの入りをぞっとするような瞬間とする。

それぞれ小さな変更かもしれない。逆にいえば、そんなところにモーツァルトのセンスが光る。そしてそのセンスの奥に彼を衝き動かしている世界が見える。

第2主題の再現は音楽の「結論」だったが、それは悲劇的な結末だったのである。

地獄落ちの構図

弦楽五重奏曲で現れた「第2の展開部」は、ソナタ形式の枠組みがより明確になったト短調交響曲でいっそう威力を発揮する。第1主題の再現の後、提示部と同じように事が運ぶかと思いきや、突然、巻き起こる音楽の嵐に呑み込まれるのである。

実は、これも本ブログ内『40番』のシリーズ3でも触れたのだが、「第2の展開部」の影響を受けた二つの例をあげ、そのうちブラームス第4交響曲第2楽章を説明した。ここでは、その時、指摘したにとどめたシューベルトの例を詳しく見ていこう。後世の影響から、逆にモーツァルトのオルジナルに光をあてるのである。

交響曲第8(9)番ハ長調D.944である.実は第1楽章にも第2の展開部の影響の痕跡は明白なのだが、ここでは第2楽章をあげる。

楽章の中間部、「ホルンが遠くから呼ぶ声のように聞こえてくるところ」とシューマンがいったブリッジから第1主題が帰ってくる(第160小節)。長大な旋律は繰り返されるのだが(第197小節)、やがて雲行きが怪しくなる。音楽は紅潮し、金管が咆哮し合い、主題の断片が折り重なるようにせめぎ合う。

再現の後の第1主題と第2主題を繋ぐ部分、いわゆる推移部に展開的な盛り上がりを置くことを、シューベルトは『40番』から学んだのではないか。われわれのいう「第2の展開部」である*。急激にクレッシェンドし、急迫の極にフォルテ3つでティンパニが轟き、音楽は壮大に崩れ去る(第248小節)。

*ただし『グレート』第2楽章には展開部らしき部分はない。したがってここでは「第2の」といういい方は本来できないが、シューベルトは第2主題の再現の前に展開部的な緊張で盛り上げ、そこから第2主題を出すという発想を学んだのだろう。

すると廃墟の中に一条の光が射すように、チェロの高弦にピアニシモで旋律が現れる。調性は変ロ長調。なぜ変ロ長調?

第2楽章の調性はイ短調である。変ロ長調はいかにも唐突に見える。だがこの調の選択を理解するには、モーツァルトのピアノ・ソナタハ短調K.457を思い浮かべればいい。再現部の第1主題の後でちょっとした回り道へ逸れて第2主題へ戻った。あの回り道の調は変ニ長調だった。つまり主調であるハ短調♭×3に対する変二長調♭×5なのだが、同じ関係がイ短調♭×0に対する変ロ長調♭×2となる(♭が2つ増えた長調である)。

実はこのフラットした第2音は「ナポリの6の和音」の構成音としてドミナントの前に置かれる。名前はナポリ派オペラ*に由来し、主和音への帰還に悲劇的な色合いを添えるのである。だからあの変ロ長調は「ナポリの調」といっていいい。

*18世紀、バロック時代後期にナポリを中心に流行したオペラ・セリア。アレッサンドロ・スカルラッティが創始し、オペラのひとつの定型を築いた。モーツァルトにとってもオペラの出発点となった。

ただし伝統的にはナポリの調はイ「短調」へ向かうはずである。ところがシューベルトはここでイ「長調」に辿り着くようにした。あの変ロ長調のチェロのカンティナ―レは、一条の光と呼んだが、救いを招く天使だったのかもしれない。イ長調の第2主題ととともに、天上から慈雨がさんさんと降り注ぐようだ。『グレイト』のスコアの中でももっとも素晴らしい頁のひとつである*。

*スコア付きの動画を探したのだが、適当な演奏が見当たらなかった。問題の部分の演出は指揮者をかなり選ぶようだ。スコアはないが、ブルムシュテットの旧盤で聴く。

光は影があって、いっそう輝く。だから多くの作曲家は影(短調)―光(長調)の図式に、緊張―弛緩の要素をとり込み、いくつもの感動を音楽にもたらした。緊張を高めるには密度の濃い展開を施す、つまり展開部的な書法が格好の手段となる。

ベートーヴェンの『田園』にしても、嵐が遠ざかるにつれて、晴れやかな空気が広がる。災いがあるから平和の尊さが身に沁み、感謝の念も湧き起こる。

だが嵐の後にまた災難が降って湧いたらどうなるか。目も当てられない。ところがモーツァルトのはそれだった。

怒濤のような波乱の展開を経て到来する第2主題は「イエス」とはいわない。「ノー」「救いは無い」と告げるのである。

最後のとどめ

『40番』は恐るべき音楽なのである。

弦楽五重奏曲ト短調ではモーツァルトはフィナーレにト長調のロンドを置いた。ロンドは同じ主題が何度も回帰する循環形式であり、構造的に開かれている。何らかの結論とか帰結へと閉じるのではなく、堂々めぐりを続けるだけなのである。だがト短調交響曲ではフィナーレ楽章としてソナタ形式が選ばれた。

ソナタ形式はドラマティックな形式であり、対立と紛糾から一致と解決へと閉じた形式である。ドラマティックな形式原理ゆえに、ソナタ形式のフォナーレは音楽に劇としての結末へ導き、決着をつける。だからモーツァルトは『ジュピター交響曲』では壮大で記念碑的ともいえるフィナーレを置いたのである。だがその前の『40番』ではそうはいかなかった。

結局、第4楽章は第1楽章と同じソナタ形式となった。「ノー」に発展など無い。

いやフィナーレの世界は第1楽章よりいっそう激烈かもしれない。疾駆する音楽にもはや第2の展開部などなく、ひたすら奈落へと突き進む。

驚くべきは展開部であり、冒頭主題の2小節を対位法的に処理しながら、160小節目からすざまじい転調が始まる。まず2小節ごとにハ短調→ト短調→ニ短調→イ短調→ホ短調→ロ短調とシャープ方向に駆け上がり、何と♯×4の嬰ハ短調のドミナントに達する(175小節)。そしてそこからト短調へ真っ逆さまに転落し、あっという間に第1主題が舞い戻る。

狂ったような転調であり、息もつかせぬ展開である。弦楽五重奏のフィナーレに垣間見えた迷いなど微塵もない。徹底的な否定であり。第1楽章の悲劇はもはや安易な妥協など許さなかった。

全曲を聴いてみよう。ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィルのモノラル盤で。

達成

それほどの救いの無い音楽でありながら、『40番』は耳障りで、猥雑で、醜悪な音楽だろうか。これ見よがしに顔を歪めて訴えるような響きだろうか。とんでもない。いつかスパー・マーケットでドラムスが入った軽快なBGMとなって流れていたのを聞いたことがある。愁いを帯び、耳元を爽快に流れていくサウンドだった。ポピュラー音楽で歌詞つきで歌われ、ヒットしたこともある*。

*シルヴィー・ヴァルタン「哀しみのシンフォニー」(1972年) なお歌詞はモーツァルトの音楽の魔法を称えているようで、「あなたの音楽はいつでもわたしの愛しい恋人」と歌われる。ただし「哀しみ」という言葉はどこにも見あたらない。

あの半狂乱の夜の女王のアリア、自分の娘に殺人を命じる常軌を逸したアリアでさえ、美しく書いたのがモーツァルトだった。ここで想い起こされるのが、ト短調弦楽五重奏曲のところでも引用した、父親宛ての手紙である。あの有名な件の次にはこうある。

「ぼくは、まだ若いけれど、もしかしたら明日を見ることなくこの世を去っているのではないか、そう思わずにベッドに就かないことはありません。そして、親しい人たちで、わたしが不機嫌だったり、悲しげだったといえる人は誰もいないでしょう。そのことをいつも創造主に感謝しています。

 – ich lege mich nie zu bette ohne zu bedenken daß ich vielleicht |: so Jung als ich bin 😐 den andern tag nicht mehr seÿn werde – und es wird doch kein Mensch von allen die mich kenen sagn könen daß ich im umgange Mürrisch oder trauerig wäre – und für diese glückseeligkeit danke ich alle tage meinem Schöpfer, 

モーツァルトは無類の人間通であり、生の底無しの悲惨を、死の無慈悲な現実性を直視した。決して無視したり、ごまかしたり、あるいは逃げたりしなかった。またそのために、泣きわめいたり、悲嘆にどっぷりつかったり、あるいは世捨て人になるのでもなかった。人の輪の中で誰に対しても常に明るく、誠実に生きたのである。

無理強いしてそうしていたのではない。そのありのままがモーツァルトだったのである。

そんな生が『40番』を生んだのである。モーツァルトの人生に通底していた恐るべき真実を美へと結晶させたのである。美が嫌いな人はいない。美は、スーパー・マーケットの客から哲学者に至るまで、普遍的なのである。

なぜなら、この美は完璧な形式によってとらえられ、実現されたからである。ちょうど能の型のように、あらかじめ約束事として定められた動作によって、人間のドロドロした感情から崇高な佇いまで、美しい面をとおして表現されるのである。形式は誰に対しても開かれているが、それがもっとも深奥の閉じた真実を明かすという奇跡。

だからこうもいえる。『40番』はいっさいの偽りも虚飾も無い真実であり、それが精神をとおして美へと昇華されたのである。だからこそ、そこに精神の勝利があり、人間存在の証しと尊厳がある。そして無力な存在たる人間にとっての最後の、そして究極の救いとなるのである。

モーツァルトも『40番』にみずからの芸術のひとつの達成を見たのだろう。この後、独立した短調作品が書かれることはなかった、