期待はしないけど、希望をもって―カーペンターズ「青春の輝き」
60年代、ビートルズの直撃を受けた少年にとって、70年代のカーペンターズの音楽はヤワい代物だった。少なくともわたしにとって「ブルースが足りない」と感じた。ところが、それから四分の半世紀もたったある日、車のラジオからカレンの歌声が流れてきた。“I know I need to be in love……”。「わかってる。わたしって、愛が必要なの」「愛していないとだめなの」。驚いた。これがカーペンターズ? ジャニス・ジョプリンじゃあるまいし。「青春の輝き」という邦題の曲だった。
人生の危うさ
歌詞を調べてみた。
これまでで 一番難しかったのは 信じ続けること
この狂った世界に わたしのための誰かが いてくれることを
人々が行き交う道 儚い人生
わたしにチャンスがあったとしても 決してわからないでしょうよく いったもの「約束はなし シンプルな関係でいましょう」
でも自由は 別れを早めただけだった
学ぶまでにしばらくかかった 自由からは 何も得られないこと
払った代価は 大きかったわかってる わたし 愛がないとだめなの
わかってる あまりに多くの時間を浪費したこと
わかってる 不完全な世界に完全を求めてることを
それが見つかると思っていた 愚かにもだから 今のわたしのポケットには 前向きな想いがいっぱい
でも 今夜はなんの慰めにもならない
眠れない午前4時 もう近くに友人もいない
わたしは希望にしがみついてる でも もう大丈夫
こんな歌詞だったんだ。
第1ヴァースでは「わたしにとっての特別な人」の存在が歌われている。明らかに「永遠の誓い」とか「運命の恋人」といったポップスの常套的な「愛」は退けられており、むしろ疑念がほのめかされる。何しろ「信じ続けることがもっとも難しかった」のだから。さらに、そんな人がいるとしても、わからない、気づかないかもしれない、ともいう。
4つの可能性がある。特別な存在が「いる」「いない」の2つと「気づく」「気づかない」の2つの組み合わせである。1「いる」「気づく」、2「いる」「気づかない」、3「いない」「気づく」、4「いない」「気づかない」である。4は当たり前だから、カウントする必要がないのかもしれないが、可能性としては、1だけが「特別な人」と出会えるのである。
主語は「わたし」だが、これは誰にでも妥当するだろう。人生って、ただ偶然に翻弄されて漂流することの別名なのではないか。そこでたまたま遭遇する幸福を期待できるだろうか。何と真摯な歌詞ではないか。
だから第2ヴァースでは「いない」「気づかない」状態のさすらいが歌われる。「特別」であることが感じられないなら、「約束」はできない。しかしそこから失うものも大きかった。でも「気づかない」ものは仕方がない。
期待はしないけど、希望をもって
「青春の輝き」の作詞はリチャードの大学時代の友人ジョン・ベティスであり、彼は「トップ・オヴ・ア・ワールド」など、カーペンターズの多くのヒット曲の詩を手がけた。
いつかTVの特集番組「青春の輝き」(TBS “Song to Soul”)の中で、リチャードは当時のことを振り返り、あの頃、カレンとベティスは「約束なしのシンプルな関係」にあったのではないかと推測していた。曲の背景にはそういう個人的な背景もあるのかもしれない。
そしてあのサビが来る。厳しい人生、不完全な現実について多くを知った。でも同時に知った。わたしには愛が必要だということも。
最後のヴァースでは前向きな姿勢に転じる。現実にくじけることもある。眠れない夜もある。安易な期待はしないから。でも希望を抱き続ける、と。
カレンがかつて聞いて育ったハッピーなラヴ・ソングではない。あの番組でも、「青春の輝き」はリチャードにとって自信作だったと語っていた。歌詞もメロディーもアレンジも文句のつけようがない。「ヒット間違いなし」だと思ったと。
でも実際はヒットしなかった。キャッチーで明るい歌詞ではないことが禍したのかもしれない。1995年、日本のTV番組で使われ、注目され、ようやくヒットした。カレンの死後、12年がたっていた。
白人ポピュラー音楽史における現実の発見
歴史的に見れば、カーペンターズの音楽は、いわゆるオールディーズのリファイン版といえよう。オールディーズとは50年代末から60年代前半に大流行したティーン向けのポップスであるが、さらに遡ると、スタンダードに行き着く。
スタンダードはアメリカン・ポップスにおける白人音楽の源流であり、ミュージカルに起源をもつ理想の世界を歌い上げる。花々が咲き乱れ、小鳥たちがさえずり、星たちがまたたく理想郷はどこかに、たとえば「虹の彼方」に存在する。悩みなんかレモン・ドロップみたいに消えていく。そこには永遠の愛があるはず。……世界は完全であるという暗黙の了解が根底にある。
高尚なスタンダードは第2次大戦後から徐々にポップになり、単純化していく。これは音楽の大衆化とビジネス化の路線に伴う現象といえるが、その最たるものがオールディーズだった。ここでポップスはローティーン向けの商品と化したといえよう。少年少女が永遠の愛を夢見るための「枕」のような商品である。
しかし60年代、ポピュラー音楽界に激震が生じた。特に、理想だけではなく、現実をとらえたロックは対立や不協和が渦巻く地上に眼差しを向けた。そして「青春の輝き」が「この狂った世界 this crazy world」とか「不完全な世界 imperfect world」を歌った時、スタンダードの理想主義に端を発しながら、ロックの現実志向を消化・昇華したことを物語るようだ。
さらに、その時、音楽はまた不器用だったかもしれないが、真摯なカレン・カーペンターの肖像となったかのようだ。事実、カレン自身「青春の輝き」をもっとも愛したという。だからこそ「青春の輝き」は、単なる絵空事ではなく、現実を生きる人間の確かな存在を歌う名曲となったのだろう。