民族主義者の内なるロマン主義者の声―ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
ドヴォルザークの音楽にあるどこか素朴で懐かしい情趣は「五音音階」「ペンタトニック」に起因しているとよくいわれる。たとえば超ポピュラー名曲、交響曲第9番『新世界より』の第2楽章ラルゴである。いわゆる「家路」の名旋律。
ここではピアノ編曲譜を引用したが、音はすべて実音で、移調楽器に煩わされることがないようにするためである。さらに、変二長調の調号に惑わされずに基本的な音感を呼び起こすため、さらに何よりも説明の便宜を図るために、移動ドで説明したいと思う(実音はドイツ音名で)。まずはイングリッシュ・ホルンのソロのあのメロディを移動ドで読んでみよう。
冒頭の4小節は「ミーソソーミーレド|レーミソーミレー|ミーソソミーレドー|レミレードドー」となる。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの第4音「ファ」と第7音「シ」が欠けており、いわゆる「ヨナ抜き音階」である。これは世界中の民族音楽の音階であり、ドヴォルザークの民族主義的音楽の徴であるといわれる。
様式の混交
19世紀のロマン主義に対して、新しい潮流となっていたのが国民楽派だった。ヨーロッパの中心を震源とした革命と闘争が波及し、諸国での民族意識の自覚を促したことは大いにありうる。ドイツ音楽を中心としたロマン派音楽に、ヨーロッパ周辺の様式をとり込もうという流れは必然だっただろう。その代表格がドヴォルザークだった。
「ラルゴ」のあの旋律はその証であるともいわれる。しかしそう単純でもない。この旋律はa(4)+b(4)+a'(7) の構成だが、次のbで使われている音はどうか。移動ドでいえば、イングリックラリネットのクラリネットの二重奏の旋律にはファ(Ges)もシ(C)もある。つまりド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シで書かれているのである。
つまり、こういうことだ。古典派やロマン派は転調によって部分のコントラストをつけた。「雨だれ前奏曲」は主部が変ニ長調で中間部は嬰ハ短調という具合である。しかしフランス近代などは、旋法や音組織で書き分けた。たとえばドビュッシーの「アナカプリの丘」では主部が五音音階、中間部が長音階(ロ長調)となる。ドヴォルザークの「ラルゴ」にもそうした方法論がすでに垣間見える。
aは五音音階風、bは長調風に書かれている。「風」といったのは、たとえペンタトニックでも調性的なハーモニーがついているからであり、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シでも民族音楽風に書くことができるからである。
たとえばbの4小節はまったくハーモニーが動かない。コード・チェンジによるリズムの動き(ハーモニック・リズム)が無く、民族音楽のドローンのようである。3度(正確にいえば、オクターヴ+3度)の平行進行も民族音楽っぽい。
さらに二重奏でリズムがずれる箇所がある(譜例 赤丸)。イングリッシュ・ホルンがクラリネットより細かい付点リズムで動くのである。これはソロ的な発想といえる。それに対して一定のリズムで動く2本のクラリネットは、背景に回る重唱風でもある。明らかにソロとバック・コーラスのイメージであり、だからこそ後者は3度でも、オクターヴ下につけたのである。ソロとバックのずれはハーモニー的要素が少ない民族音楽によく見られるスタイルで、ヘトロフォニーともいう。
バスとハーモニーの衝突
民族音楽の要素の導入は調性のスタイルを駆逐するのではなく、さまざまな形で同居・共存することになったのである。「ラルゴ」で象徴的なところがある。
「家路」の旋律はaba’で、最初のaが変型されて、戻ってくる。そしてa’で大きな盛り上がりを示し、高揚を鎮静するような3小節が加えられる。そのクライマックスの和声に注目である(第18小節)。
ヨナ抜き音階で欠けていたのはファとシだったが、これらはまさに和音としてのドミナントを形成する音だった。典型的なのは属七「ソ・シ・レ・ファ」で、調性音楽の根幹をなす和音であり、西洋的な響きである。減5度のシとファの2つの導音進行が強力なドミナント進行を生む。ソはその根音であり、ドミナントとして最後までバス声部に残る。「ラルゴ」の旋律のクライマックスを支えるバスのAsにほかならない。
ソの上でⅣ(サブドミナントともいう)が鳴る。不協和にならざるをえない。主音ドから5度下の音であるファは、5度上のソに対しアンチ・ドミナント的性格が強い。だから調性音楽でドミナント色を薄める方法論のひとつとしてサブドミナントを活用するやり方が浮かび上がった。西洋音楽史は「正格終止」としてのドミナントを中心にした発展史だったが、その傍流ともいえる「変格終止」としてのサブドミナントは、主流からの離反とも結びつきやすかったということだろう。
またⅣの和音「ファ・ラ・ド」のラとドはヨナ抜き音階にも含まれている。結局、究極的に西洋的なもの、あるいはドミナント的なものは導音「シ」にあったということになる。確かにこれは「導音の発見」から「ドミナントの創出」へと向かった1400年代の西洋音楽史とも一致している。だからシを欠いたⅣは民族音楽的な語法とも結びつきやすい*。
*このことを端的に示すのは、アメリカで調性音楽に遭遇したアフリカ人たちの音楽形成だろう。彼らの音楽で重視されたのはもっぱらサブドミナントだった。
こうして「家路」の旋律の頂点で、ドミンナントの音の上にサブドミナントの和音が響く。ここで典型的に西洋的なもの(正格)と典型的とはいえない西洋的なもの(変格)が衝突するかのようだ。後者を「民族音楽的」と一義的に決めつけるべきではないが、民族音楽と結びつく過程で重要なハーモニーとなったのは間違いない。
旋律の最後はⅣ→Ⅰを繰り返して、消えていく。いわゆる「アーメン終止」である。旋律は祈りだったのである。
そして、一瞬、思いがあふれる
「ラルゴ」での「家路」のメロディは3度出る。第2楽章はABA’の三部形式だが、Aの最初(1回目)と最後(2回目)、そしてA’(3回目)である。ドヴォルザークは3回それぞれで旋律のあのクライマックスの和声を代えた。
1回目はバスのドミナント上のⅣの和音という特徴的な書き方だった。2回目はバスはGes(移動ド「ファ」)となり、完全にⅣの和音となる(次の譜例 上)。祈りはさらに深まった? しかし、3回目で1回だけ、こんな書き方をしたのである(譜例 下)。
Ⅳのファ・ラ・ドのラを半音下げたのである。変ニ長調では半音下げるべきBがすでにHの♭だったので、ダブル♭のBes となった。この和音は、いわゆる「芸大和声」では「Ⅳの準固有和音」と呼ばれ、「-Ⅳ」と記しもする(譜例では「Ⅳm」とした)。これは長調の文脈で同主短調の和音を借用する和声法である。難しいいい方をしてしまったが、ロマン派の典型的な和声スタイルであり、ポピュラー音楽でもごく一般的なハーモニーである。
問題はその効果である。Ⅳのマイナーは長調の明るさに、一瞬、影がよぎるようだ。影は「暗さ」というよりは、「切なさ」「胸にジーンとくるもの」のようであり、対象というより、わたしの心の琴線に触れるような瞬間をもたらすのである。それを象徴するかのように、前の部分から弦楽器の数は減らされ、ついに各パート1の室内楽的内密さを醸し出していた。その時、感情があふれる。秘めていたものがこぼれ出すのである。その一瞬をドヴォルザークは♭1個でとらえた。
しかしそれはほんの一瞬だった。次の同じ音型が続くところでは、再び普通のアーメン終止に戻り、遠のいていく。心の淵を通過し、普通が戻る。
ペンタトニックの音楽の特徴は大らかで、まるで個人を超えた豊かな包容力にあるといえるかもしれない。何かをつきつめるというよりは、すべてを受け入れてくれるような大らかさである。たとえばわれわれは自然を目の当たりにしてそれを感じるかもしれない。自分を包み込み、自分もその一部にすぎないという感動を、われわれは自然から受けるかもしれない。そこには圧倒的なものがある。しかし、そんな感動のただ中で、みずからの人生を蒸留させた一滴の涙を流すかもしれないのである。わたし以外のなにものでもない感情がこみ上げるかもしれないのである。「ラルゴ」のあの♭はそんな瞬間を想い起こさせる。
個人を超えた超然たる世界における、まぎれもないわたしの閃きがここにあるとしたら、その瞬間を描いたのがほかならぬロマン派音楽の和声スタイルだった。個人の感情や内面世界を追求したのがロマン派だったことはいうまでもない。ドヴォルザークはその様式をたった1回だけ導入することで、かけがえのなくも痛切な音楽的時間を可能としたのである。
しかしその時、ちょっとしたリスクがあったかもしれない。もう一度楽譜を見てみよう。あの唯一のダブル♭のところで、旋律は唯一「レードレラ」ではなく「レードレシ」と「シ」に代えられているのである。その理由はもとの「ラ」だと、ハーモニーに合わせてダブル♭させる必要があったからである。♭は下行する傾向があり、それが次のドへ上行すると、ねじ曲げられたような不自然な進行とならざるをえない。こうして五音音階の旋律の中で一カ所だけきわめて西洋音楽的な「シ→ド」の進行が生じる。
それはロマン派様式を、あるいは普遍に対する個を、一瞬、浮かび上がらせた代償だったかもしれない。