それが人生さ!―ザ・バンド「アンフェイスフル・サーヴァント」
わたしがもっともリスペクトするバンドのひとつがザ・バンドである。60年代後半から70年代にかけて活躍したが、ヒット・チャートからはいささか遠いところで、流行を超えて、渋く、土臭い独自の音楽を追求した。
初期の作品で「アンフェイスフル・サーヴァント」という曲がある。
いつものように、歌詞にはっきりした説明はない。「不忠実な召使。朝、すぐに出て行くんだって? ご婦人に何をしたんだ? 家を出なきゃならないことをしたのかい。謝る必要はない。悪意のためにやったのか、それとも名誉のためだったのか。……人生はよかったのに」。何のことかさっぱりわからない。そこで妄想が動き出す。
20世紀初頭の南部のアメリカ、白人一家に召使いとして黒人が仕えていた。夫は先立ち、今は未亡人の下で、召使いは男手として誠実に働いた。夫人は人を肌の色で判断するような女性ではなかった。その一家から立ち昇る思いやりのある、なごやかで、幸福な雰囲気は「わたし」をも引き寄せ、親しくしていたのだが、今、家を出る召使とでくわしたのである。一体、何があったんだ。
ある時、召使いの人間性を深く理解し、愛していた夫人は、彼に「人生をともにしないか」と提案した。しかしそれまで忠実そのものであった召使いは、この言葉に対してだけは不忠実となった。二人の間に愛があるとしても、あるいはいかに夫人が人種や地位を気にしない高潔の人だとしても、世間はそれを許さないだろう。たとえ主人の命令だとしても、今度だけは「ノー」といわなければならない。それが人間の道だからだ。
しかし主人に楯突いた召使いはもはやその家を出るしかない。無念さと感謝と、何ともいいがたい思いを「それが人生さ」と呑み込み、不忠実な召使いは、今、汽車に乗る……。おっと、妄想がすぎたか。
こんな想像が膨らむのは、ザ・バンドが常に追求していたのは「人間のあるべき」だったように見えるから。彼らこそは「ロックの良心」だった。
ここで特筆すべきはアルバム『ロック・オヴ・エイジズ』(1971年)に収められたライヴ演奏である。歌が終わった後、作者のロビー・ロバートソンのギター・ソロが入る。ギンギンのソロではない。とつとつとしたつま弾きのような音の間から驚くべき雄弁な音楽が立ち現れる。残惜しさ、切なさ、空しさ、しかもどこかにある「これでいいんだ」という決意、そんな言葉にすると矛盾でしかない錯綜した思いが、わずか8小節の中に溢れ出すのである。これこそ本物の音楽家の証だ。
わたしにはジャンルを超えて、シューマン『詩人の恋』の最終コーダを想い起こさせるのだが。