よみがえりの向こうには何が―マーラー交響曲第2番『復活』第5楽章
交響曲第1番で目覚め、歩み出した主人公はどこへ向かったのか。彼が歩を進めたのは「人生における確かなもの」「永遠」を希求する道だったのだろう。そして、交響曲第2番で行き着いたのは、宗教的なものだったようだ。「死は生へと至る」。死を超越するよみがえりの思想である。
かなり前に、『復活』のフィナーレについてのダールハウスの分析を読んだことがある。詳細は忘れたが、彼はそこにソナタ形式の痕跡を見ていた。何しろ大規模な作品である。こうした分析は作品を聴く手助けとなるかもしれない。楽想の配列は確かにソナタ形式的だからである。しかし作品の理解に結びつくかどうか。
ソナタ形式とは
ソナタ形式についてのお馴染みの説明がある。提示部-展開部-再現部の区分、提示部には第1主題と第2主題があり、再現部で戻ってくる。これは部分の配置の説明である。とはいえ、ソナタ形式が形成された18世紀における説明は、何よりも「調性」にあったことはよく知られている。
長調の場合、提示部ではまず音楽は属調へ向かう。属調への転調(5度上、たとえばハ長調に対してト長調)は緊張を孕む。展開部では提示部で生じた緊張をいっそう高める。そして緊張、あるいは葛藤の解消をもたらすのが再現部である。再現部は主調で現れ、第2主題も主調に戻ることで鎮静化は決定的となる。
だからソナタ形式は劇的な形式といえる。緊張と弛緩、紛糾と和解は劇の原理だからである。これをもっとも典型的に音楽化したのが、モーツァルト『フィガロの結婚』の六重唱曲だった(本ブログ「ソナタ形式の根底にあるもの」)。
短調の場合、第2主題は再現部では同主長調で帰還し(主調がハ短調ならハ長調)、緊張からの開放感はいっそう強い。
しかし時代の推移とともに転調を多用・濫用し、それだけ効果が薄められると、必然的に調的な変化に対する感覚も弱められる。そのため緊張と弛緩という「調的対立」は、第1主第と第2主題という「主題の対立」に置き換えられるようになった。音楽の構成が下部構造ではなく上部構造へと「見える」ようになったのである。
これがソナタ形式の形成期から19世紀ロマン派に向けての推移だった。マーラーも、当然、その延長線上に位置づけられる。
復活への足どり
『復活』フィナーレの構造を簡略化して、図示しておこう。
確かに導入部とコーダが付いたソナタ形式の区分が見える。特に顕著なのは第1主題的、第2主題的な楽想の配置であり、両主題は提示部では楽器で演奏され、再現部では歌われる。当然、後者では歌詞があり、復活の思想が歌い上げられる。またいかにも荒波に乗り出すような展開部的な様相と、合唱に出る再現の効果もソナタ形式的である。
ちなみに日本語版 wikipedia の分析には異を唱えておきたい。恣意的な「何とか主第」という命名には何の根拠も示されていない。上図で冒頭を「導入部」とした根拠は、この部分に、ほぼ60小節もの間、Cのオルゲルプンクトが置かれているからである。いうまでもなくヘ短調でCは第5音ドミナントであり、和声的に主和音への解決の待ち状態とする。典型的な導入部の書き方である。また練習番号5からを第1主題としたのは、はじめてバスで安定的な主音Fが出るからである。wikipedia のは主題、あるいは音楽の上部構造だけに頼る分析の限界を露呈しているようだ。
長大なフィナーレをまとめ上げるために、マーラーはソナタ形式の図式を念頭に置いたのは間違いない。
復活の頂へ向けて
しかし、楽想の配置はソナタ形式的だが、調性の配置は非ソナタ形式というロマン派様式の典型がここにある。
再び「構造図」を見てみよう。図では各区分の小節数の下に調号を示しておいた。提示部では第2主題は変ロ短調(♭+1)という異例な調選択だった。定石だと主調の平行調の変イ長調だが、長調で出したくなかったのだろう。それなら属調のハ短調(♭-1)とすべきかもしれないが、5度上の緊張ではなく、5度下の弛緩、落ち着きを望んだのか。
だが古典的なソナタ形式からの逸脱がきわまるのは再現部である。
再現は変ト長調となる。提示部で短調だった第1主題が再現では長調となる。アイディアとしてあっていい。しかし♭×6というのは異例ではないか。ところがここにフィナーレの核心がある。というのも、再現はコーダに向けてのスタート地点となるからである。いわば復活への狼煙である。
図を見ていただきたい。♭6の変ト長調から身を起こすように始まった音楽は、徐々に高揚していく。♭が1個ずつ消えていくのである。いわゆる第2主題は提示部と同じ♭5の変ロ短調となる。「信じよ、わが心よ、何も失われはしない」という歌う表現の切迫のためだろうが(旋律は「ため息」の音型)、♭方向への落ち着きではなく、♮方向への積極性が出ている。
やがて変ロ短調は平行調の変ニ長調(同じ♭5)へと行き着き、そこから変イ長調(♭4)、そして変ホ長調(♭3)に達する。最後に壮麗なオルガンがうなり、祝福の鐘が鳴り響く。
勝ち獲った翼で飛び発とう! わたしの死は生のため! よみがえる、そうだ、よみがえるのだ!
マーラーはソナタ形式の図式によりながら、まったく別の発想で『復活』の幕切れを構想した。それはソナタ形式的な「解決」ではなく、いわ高揚のきわみとしての至福への到達だった。そこで魂が解放されるのか。
しかし古典的な解決がないことに変わりはない。究めた頂点の向こうには何があるのか。辿り着いた変ホ長調は第5楽章の主調であるヘ短調との関係は希薄で、第1楽章のハ短調の解決にもならない。もし真の解決とするならハ長調だった。変ホ長調は5度圏で♭最多の変イ長調からの到達点として構想され、獲得された調性だった。しかし、繰り返すが、真の解決はない。
マーラーの旅はまだ続くのだろう。